根室の戦跡

2022-11-23

根室市歴史と自然の資料館

2011, 11, 6
根室市歴史と自然の資料館
花咲港を見下ろす丘の上に建つこのレンガ造りの建物は、旧日本軍の大湊海軍通信隊根室分遣所として建てられたもので、戦後は花咲港小学校の校舎として使われ、現在はこのような郷土資料の収集、保存、展示をする建物として使用されています。
アイヌの遺跡チャシや旧日本軍の戦争の遺跡の資料もあり、なかなか興味があるところです。職員の方々は、とても親切です。
学芸員の方がおられる時は、チャシや戦争遺跡の詳しいお話が聴けると思いますので、チャシ巡り、旧日本軍の戦争遺跡巡りの前に、是非立ち寄る事をお勧めします。

トーチカ

トーチカは太平洋戦争当時、旧日本軍が米軍の上陸に備えてコンクリートなどで造った防衛陣地で、網走、根室、釧路、十勝などのおもに海岸、海岸を見下ろす高台などに残っています。

根室市博物館開設準備室紀要 第13号によりますと、トーチカの建築の経緯は次のような事です。

 戦況が悪化した昭和18年(1943年)6月、陸軍は米国の本土来攻を予想して国土防衛のための「特設警備隊」を編成しました。
 大本営内は米軍の来攻を北東のアリューシャン方面からと判断し、「北東方面作戦陸海軍中央協定」を発令し、千島列島、北海道等の帝国本土防衛作戦を示しました。
 道東南部地区(根室、釧路、十勝支庁)及び国後、色丹、歯舞群島は第32警備司令官の担任とされ、その中で第5方面軍は道東地区における米軍来攻に備え、道東南部地区の防備を固めるため沿岸陣地を構築することとし、昭和19年4月初め第31及び32警備隊に築城費を支給し、作業に当たらせました。これらの陣地の目的は、敵の小規模な上陸は水際で撃退し、やや規模の大きな上陸については旭川等からの主力軍が来るまで所要地域を確保し、その後の作戦を有利に進める事でした。

< 根室市博物館開設準備室紀要 第13号 1993,3 >
旧日本軍本土防衛陣地遺跡現況調査報告書…根室半島に所在するトーチカ群を中心に
北方地域研究会

参考文献 :
< 根室市博物館開設準備室紀要 第13号 1993,3 > 旧日本軍本土防衛陣地遺跡現況調査報告書…根室半島に所在するトーチカ群を中心に…(北方地域研究会)

結局米軍は南方の沖縄に上陸、沖縄が泥沼の戦場と化し、また沖縄以外のほとんどの都市も米軍による幾度とない空襲に見舞われ、日本はこれに応戦する力も無く、ついに米軍によりヒロシマ・ナガサキに人類史上初の原子爆弾が投下され、1945年8月15日、昭和天皇の「玉音放送」により日本国民は戦争が終結した事を知りました。

これらトーチカなどの陣地は一度も使われる事は無く、戦後70年以上人知れず時の流れに流されながらも、日本がかつて戦争の時代を過ごした頃の記憶を残す場所なのです。

友知のトーチカ

根室市街に近い友知(光洋町)にトーチカがあります。このトーチカは戦跡巡りの方々には良く知られています。
路線バスで訪れる事が出来ます。

2011, 9, 30
友知のトーチカ
国道のバス停から海岸への道を歩くと、トーチカが並んで2つ現れます。
一般に友知のトーチカと呼ばれていますが、資料によっては光洋町のトーチカとも呼ばれ、また実際の住所も光洋町です。

2011, 9, 30
友知のトーチカ
草薮に埋もれていました。
築城当時は砂丘に埋もれていましたが、その後海砂採取により野ざらしになったそうです。

2011, 9, 30
友知のトーチカ
手前のトーチカの銃眼が納沙布方面、奥のトーチカは根室市街方面に空けられています。
「水際作戦」という事ですが、果たしてこれで米軍と戦う事が出るのか…。

桂木のトーチカ

2011, 9, 30
桂木の海岸
友知のトーチカから海岸沿いに根室市街方面に歩いて行きます。小さな川を渡ってさらにしばらく歩き、砂丘の内側にトーチカが2つ現れます。
このトーチカも良く知られています。

2011, 9, 30
桂木のトーチカ

2011, 9, 30
桂木のトーチカ
上空をカモメが飛び交います。

2011, 9, 30
桂木のトーチカ
こちらのトーチカは崩れ始めています。

2011, 9, 30
桂木トーチカ
こちらのトーチカは入口が特徴的ですね。

三里浜のトーチカ

根室に近い落石(おちいし)という町にもトーチカがあります。

2011, 9, 9
三里浜
落石の三里浜です。落石岬を望む広やかな砂浜が広がっています。

2011, 9, 9
三里浜
海岸にゴメの大群が海を見つめていました。

2011, 9, 9
三里浜
一勢に飛び立ちました。

2011, 9, 9
落石(三里浜)のトーチカ
三里浜を40~50分歩いて、トーチカにたどり着きました。

2011, 9, 9
落石(三里浜)のトーチカ
崩れ落ちいてる感じです。

2011, 9, 9
落石(三里浜)のトーチカ
本体は3つほどに分かれてしまっています。

2011, 9, 9
落石(三里浜)のトーチカ
宿の方から聴いた話ですと、もとは高台にあったのですが、年月により海岸まで崩れ落ちてしまったそうです。
崩れ落ちる前はどんな形だったのか不明ですが、単純な形ではなかった事が想像できます。

2011, 9, 9
落石(三里浜)のトーチカ
銃眼ですね。

2011, 9, 9
落石(三里浜)のトーチカ
鉄筋は見当たらず、代わりに木が補強材として使われているようです。いずれにしてもあまり頑丈ではないようです。

東和田のトーチカ

2011, 11, 6
東和田のトーチカ
道路沿いの牧場の片隅にトーチカが残っていました。トーチカを知らない人が見ると牧場の施設かと思う事でしょう。
このトーチカも土砂に埋もれていましたが、牧場の拡幅工事により、地表に現れたそうです。

戦争壕

落石の戦争壕

落石にある「落石シーサイドウェイ 浜松パス」を歩いて行くと、戦争壕が残っています。

2013, 7, 23

戦争壕
太平洋戦争末期、米軍の上陸に備えて造られた防衛陣地のひとつで、ここに隠れて海岸に上陸する米軍を崖の上から迎え撃つものと言われています。

2013, 7, 23
戦争壕

砲台跡

引臼岬砲台跡

2011, 12, 14
引臼岬砲台跡
引臼岬には、旧海軍によって設置されたと言われる砲台が残っております。
ここまでバス停から30分ほど歩きます。

砲台の周囲は盛土されています。

2011, 12, 14
引臼岬砲台跡

2011, 12, 14
引臼岬砲台跡

2011, 12, 14
引臼岬砲台跡
この砲台には三式十二センチ高射砲(最大射程200,500m)が設置される予定だったそうです。(根室市博物館開設準備室紀要による)

ノツカマップ砲台跡

ノツカマップの藪の中にも、旧日本軍が太平洋戦争末期に造ったと言われている砲台跡が残ります。
道は無く、藪をかき分けてゆくと、円筒形のコンクリート製の土台が残ります。

四五式240ミリ榴弾砲(最大射程11,000ヤード)が設置される予定だったそうです。(根室市博物館開設準備室紀要による)

2014, 7, 15
ノツカマップ砲台跡

2014, 7, 15
ノツカマップ砲台跡

飛行場跡

旧牧の内飛行場跡

航空写真などで牧の内付近を見ると、不思議な模様が見られます。
これは旧日本軍(海軍)が戦争末期に造った飛行場の跡です。

 北海道では、昭和18年8月に北方軍(陸軍)と北東方面艦隊(海軍)との間で「北太平洋方面陸海軍指揮官の協定」がなされ、その作戦方針のなかで航空基地の増強の一環として牧の内飛行場の新設が決まっていました。根室には既に根室飛行場(花咲航空基地)飛行場が昭和10年に完成しておりましたが、太平洋戦争のころには既に不時着用とされて、全く使われていませんでした。
 新設が予定された牧の内の飛行場は2本の滑走路が計画され、1本はすでに完成していましたが、多くの労力を費やして進められた建設工事も、昭和20年の春までに大本営による作戦方針の転換によって中断され、そのまま放置されたこととなります。

根室市博物館開設準備室紀要 第15号 2001,3
旧日本軍本土防衛陣地遺跡現況調査報告書 Ⅲ
…根室半島に所在するトーチカ群ならびに旧牧の内飛行場とその周辺施設について…
北方地域研究会

参考文献 :
< 根室市博物館開設準備室紀要 第15号 2001,3 > 旧日本軍本土防衛陣地遺跡現況調査報告書 Ⅲ…根室半島に所在するトーチカ群ならびに旧牧の内飛行場とその周辺施設について…(北方地域研究会)

2011, 11, 7
旧牧の内飛行場
道路から望むことができます。

この場所まで、根室駅からタクシーを利用しました。

2011, 11, 7
旧牧の内飛行場
終戦時爆破処理されたためか、あるいは戦後60年以上経ったためか、コンクリートはひび割れています。

2011, 11, 7
旧牧の内飛行場
建設にはおそらく多くの税金や労力が投入されたと思われますが、一度も使われる事がなく放置され、全くの無駄な建設工事だった感があります…。戦争ほど無駄な行為は無いのではないかと思います。

2014, 11, 10
旧牧の内飛行場
雨の日

2014, 11, 10
旧牧の内飛行場
雨の日

2011, 11, 7
旧牧の内飛行場

2014, 11, 10
格納庫跡

2011, 11, 7
掩体壕
旧牧の内飛行場周辺には付属施設として掩体壕などが残っています。
掩体壕は、この中に航空機を入れて、敵の攻撃から守る格納庫です。
牧場内にありますので、道路から撮影しています。
左側の築山の中にも掩体壕が埋もれているのかもしれませんね…。

2014, 11, 11
掩体壕
離農された農家に残る掩体壕(えんたいごう)

2014, 11, 11
掩体壕
同じ掩体壕に近寄ってみました。

2011, 11, 7
林の中の掩体壕

2014, 11, 11
破壊された掩体壕

2014, 11, 11
無蓋掩体壕
旧飛行場を周遊する道路を歩いていると、藪の彼方にコンクリートの構造物が望めますが、無蓋掩体壕であると思われます。

2014, 11, 11
土に覆われた無蓋掩体壕
同じく、旧飛行場を周遊する道路を歩いていると、藪の中に“コの字状の築山”が何か所が見られます。
この“コの字状の築山”の中に、上のような無蓋掩体壕が隠れていると思われます。

このように旧飛行場を取り囲むように、ドーム状の有蓋掩体壕やコの字状の無蓋掩体壕が残っています。

この他、探せばいろいろとあるようですが、車も無く丸腰でヒグマと戦うのは到底無理で、あまり深入りはできません。


根室の戦跡

Posted by でぇあぶつさん