日曹炭鉱鉄道軌道跡

2021-05-13

酪農の町 豊富は、かつては炭鉱で栄えた町でした。

その頃、「日曹炭鉱鉄道(日曹炭鉱天塩砿業所専用鉄道)」が走っていました。
この鉄道は、1940年(昭和15年)から1972年(昭和45年)まで、豊富~日曹炭鉱を結び、日曹炭鉱の石炭の他、旅客、貨物、沿線の牧場の牛乳などを運んでいました。

遺構が何かあるか、宿のレンタサイクルで訪ねてみました。

まず、市街地の外れにある「豊富町自然公園」へ。

9600型蒸気機関車の動輪

2014, 9, 5
9600型蒸気機関車の動輪
豊富町自然公園に展示されています。 昭和36年から昭和47年の炭鉱閉山まで、日曹炭鉱天塩砿業所専用鉄道で使用されていた蒸気機関車の動輪です

9600型蒸気機関車の動輪についての解説板

2014, 9, 5
9600型蒸気機関車の動輪についての解説板
豊富町自然公園にて

さて、日曹炭鉱鉄道の豊富駅はどこなのか。
Sさんや居酒屋のお客さんなどからの証言から、JR豊富駅の幌延寄りのこの“人しか通れない踏切”付近にあったそうです。

日曹炭鉱鉄道 豊富駅跡

2018, 5, 11
日曹炭鉱鉄道 豊富駅跡
この“人しか通れない踏切”近くの空き地に“貨車溜まり”がありました。駅舎は無く、看板があった程度という話でした。

宅地化されたため、市街地には軌道跡は全く残っていませんが、Sさんの証言から、日曹炭鉱鉄道の軌道は、「秋田食堂(現在は閉店)」さん、「パチンコ ニューロッキー」さん付近を弧を描いて通り…

秋田食堂

秋田食堂(現在は閉店)さん

パチンコ ニューロッキー

パチンコ ニューロッキーさん

軌道は住宅街の、この広い歩道の道に沿い…

サイクリングコース入口

…そして、その道の先に自然公園のサイクリングコース(軌道跡)の入口があります。

サイクリングコース入口

2014, 9, 5
「サイクリングコース」入口
市街地を抜けた所にある「豊富町自然公園」の横より始まる「サイクリングコース」は、「日曹炭鉱天塩砿業所専用鉄道」軌道跡の一部です。

豊富バイパスをくぐります

2018, 6, 3
サイクリングコース(軌道跡)は、豊富バイパスをくぐります。

サイクリングコース(軌道跡)

2018, 5, 10
サイクリングコース(軌道跡)は、牧草地や森の中に続きます。
豊富フットパスの一部でもあるので、良く整備されています。

サイクリングコース(軌道跡)

2018, 5, 10
春にはミズバショウが咲きます。

サイクリングコース(軌道跡)

2018, 5, 10
森を抜けて…

サイクリングコース(軌道跡)

2018, 5, 10
何か所か農道と交差するところがあります。

サイクリングコース(軌道跡)

2018, 5, 10
土砂採取場近くを通り…

サイクリングコース(軌道跡)

2018, 6, 3
やがて大規模草地に向かう道路に沿って続きます。

サイクリングコース(軌道跡)

2018, 6, 3
サイクリングコースはここで終わり 軌道跡は道路と川を渡り、反対側の斜面に続いています。

軌道跡は右の山の斜面に続いています

2014, 9, 5
軌道跡は右の山の斜面に続いています

鉄道橋の跡

2018, 6, 3
鉄道橋の跡

登竜峠に続く切通し

2018, 6, 3
左へ登竜峠に続く切通し
迂回線と言われたあたり。
軌道は、正面の山の斜面から、この切通しに続いていたと思われます。 急坂のため、機関車のカマに石炭をどんどん入れて、更に機関士や乗客が機関車を押して峠を越えたそうです。
力行により、火の粉が飛散し、山火事が良く発生したのもこのあたりかと思われます。
心優しき町の林務係の方が、山火事跡にトドマツの苗を植え、また山火事になってもトドマツの苗を植え…根気良く苗を植えて…やがて緑を取り戻したと言う民話が残っています。

軌道跡の築堤

2018, 5, 10
登竜峠を越えて、国道84号線に出ました。
軌道跡の築堤が見えます。

軌道跡の築堤

2018, 5, 10
軌道跡の築堤

鉄道橋の跡

2018, 5, 10
鉄道橋の跡
鉄道橋の跡が望めます。

鉄道橋の跡

2018, 5, 10
鉄道橋の跡

本流

2014, 9, 5
本流
「本流」という所に大きな木の柱が残っていました。

本流神社

2014, 9, 5
本流神社
草むらに小さな社がありました
お参りされている跡があり、今でも祀られているようです。

おねだりギツネ

2018, 5, 10
おねだりギツネが現れました。

コンクリートの構築物

2018, 5, 10
大きなコンクリートの構築物が残っていました。
そのうしろはボタ山かな?

豊富町日曹炭鉱(株)跡地の碑

2018, 5, 10
豊富町日曹炭鉱(株)跡地の碑
日曹炭鉱の事務所跡に建てられています。
「日曹炭鉱の開砿は昭和12年12月、閉山は昭和47年7月」と記されています。

豊富町日曹炭鉱(株)跡地の碑

2018, 5, 10
当時の写真が展示されていました。

日曹炭鉱坑外図

2014, 9, 5
日曹炭鉱坑外図

炭鉱の遺構はあまり無いのですが、更にレンタサイクルで走ると…

古いガードレールのある道

2018, 5, 10
古いガードレールのある道

一坑橋

2018, 5, 10
一坑橋

ボタ山?

2018, 5, 10
ボタ山なのか、何かの施設跡なのか、山肌が開けた所がありました。

川の古い護岸や鉄道橋の橋脚跡

2018, 5, 10
川の古い護岸や鉄道橋の橋脚跡

原野にポツンと残された建物

2018, 5, 10
原野にポツンと残された建物

鉄道橋跡

2018, 5, 10
鉄道橋跡

ターンテーブル跡

2018, 5, 10
ターンテーブル跡
道路沿いにターンテーブルの跡がありました。
ターンテーブル跡があるという話は、町の方からも良く聴きます。

ターンテーブル跡

2018, 5, 10
ターンテーブル跡

ここから先は、炭鉱の遺構は見つけられませんでした。

豊富の市街地からサイクリングロード(軌道跡)や、国道を宿のレンタサイクルでのんびりと走り、片道2時間弱かかりました。
炭鉱で栄えた当時に思いを馳せて、一日、自転車でのんびりと走るのも面白いと思います。


  • 開鉱当初の石炭の送炭は、夏の間は貯炭し、冬場に「馬橇」で幌延に運んだ。幌延から天塩川を船で天塩港に運び、天塩港から積み出した。馬橇なので、一日一往復、朝3時に出発し、夜8時頃に戻った。
  • 鉄道敷設に際し、送炭先が豊富に決定されたのは、稚内港を石炭の積み出し港として利用した方が、送炭費が安くなると考えられた。
  • この鉄道に乗られた方に伺ったが、石炭列車には、客車が一両だけ連結されていて、とても混んでいたという。 また、乗車券には事故が起きても会社では責任を負わない旨書かれていたと言う。
  • 「秋田食堂」のマスター(故人)は、「うちの建物は日曹の鉄道の線路の上に建っているから、地盤がしっかりとしていて、地震が来てもびくともしない」と話されていました。

<参考文献>

  • とよとみの民話 第八集 日曹炭鉱 平成6年3月10日発行 発行者 北海道豊富高等学校 郷土研究部
  • とよとみの民話 第十四集 消えゆく炭都~神様のお告げ、山の樹木 平成12年9月30日発行 発行者 北海道豊富高等学校 郷土研究部
  • 豊富町史 昭和六十一年三月二十日発行 編集、発行 豊富町史編纂委員会
  • Sさん、居酒屋のお客さんのお話など

Posted by でぇあぶつさん