太平洋石炭販売輸送臨港線・弁天ヶ浜から知人海岸へ
![釧路埼を回る石炭列車](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/05/DSC_0296.jpg)
2009, 5, 15
釧路埼を回る石炭列車
(A車・D701)
(B車・D401)
![千代ノ浦をゆく石炭列車](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_00881.jpg)
2016, 3, 22
千代ノ浦をゆく石炭列車
(A車・D701)
(B車・D801)
![霧の日、弁天ヶ浜にて](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_764111.jpg)
2014, 7, 30
霧の日、弁天ヶ浜にて
(B車・D801)
![霧の日、弁天ヶ浜にて](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_37061.jpg)
2016, 8, 1
霧の日、弁天ヶ浜にて
(A車・D701)
(B車・D401)
![霧の弁天ヶ浜をゆく](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_018611.jpg)
2009, 6, 22
霧の弁天ヶ浜をゆく
釧路は夏場に霧が良く発生しますが、そんな中を行く石炭列車は幻想的です。
弁天ヶ浜は昔、鬼呼(オニップ、オニオプ…アイヌ語で小川の口が詰まって、水を増し、急に破れるという意味)と呼ばれていました。その後、昭和7年の字地番改正で、今の弁天ヶ浜に命名されました。これは米町の厳島神社の祭神「市杵島(イチキシマ)姫命」の別名「弁天神」の名に因んで命名されたそうです。
また、大正12年に知人に築港が出来てから海岸の浸食が激しくなり、護岸堤防を設置したものの、ついに昭和46年の冬の台風で砂浜が完全に消滅したそうです。
(A車・DE601)
![霧の弁天ヶ浜をゆく](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_36871.jpg)
2016, 8, 1
霧の弁天ヶ浜をゆく
(A車・D701)
(B車・D401)
![弁天ヶ浜をゆく保線モーターカー](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_99271.jpg)
2016, 3, 22
弁天ヶ浜をゆく保線モーターカー
![弁天ヶ浜をゆく石炭列車](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_99541.jpg)
2016, 3, 22
弁天ヶ浜をゆく石炭列車
(A車・D701)
(B車・D801)
![ラストラン](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_5483_000011.jpg)
2019, 3, 30
ラストラン
この日を以って臨港線は運休となるので、この列車が石炭を積んだ列車(運炭列車)の事実上のラストランです。
(A車・DE601)
(B車・D801)
![ラストラン](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_5512_000011.jpg)
2019, 3, 30
ラストラン
(A車・DE601)
(B車・D801)
![ラストラン](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_5500_000011.jpg)
2019, 3, 30
ラストラン
(A車・DE601)
(B車・D801)
![米町踏切にて](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_097011.jpg)
2011, 10, 20
米町踏切にて
(B車・D401)
![米町踏切にて~ハマナスの花の頃](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_34411.jpg)
2016, 7, 7
米町踏切にて~ハマナスの花の頃
(A車・DE601)
![米町踏切にて~ハマナスの花の頃](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_34741.jpg)
2016, 7, 7
米町踏切にて~ハマナスの花の頃
(B車・D801)
![霧の日、米町踏切を行く](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_779811.jpg)
2014, 7, 31
霧の日、米町踏切を行く
海から霧が流れ、とても良い雰囲気でした。
(B車・D801)
![米町踏切にて](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_843111.jpg)
2014, 9, 19
米町踏切にて
(A車・DE601)
![霧の釧路埼をゆく](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_01911.jpg)
2009, 6, 22
霧の釧路埼をゆく
深い霧の日でした。
(B車・D401)
![冬の日、釧路埼をゆく](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_141911.jpg)
2011, 12, 13
冬の日、釧路埼をゆく
冬の日、本日の最後の石炭列車が春採へ走って行きました。
(B車・D801)
![輝く車体](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_162211.jpg)
2011, 12, 15
輝く車体
冬の日を浴びながら走る石炭列車が、ひときわ輝きました。
(A車・DE601)
![埼の断崖をゆく](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_10491.jpg)
2009, 12, 9
埼の断崖をゆく
知人の浜から続く“波消しブロック”を海に落ちないように慎重に飛び跳ねながら伝っていくと、埼の先端で“波消しブロック”は終わっていました。弁天ヶ浜は目前なのに、ここから先は太平洋が広がり、歩いて渡る事は出来ません。
臨港線のレールだけが唯一断崖の上に続きます。
そして釧路らしい灰色の空の下、石炭列車が来ました。雲間から突然冬の弱々しい陽光が射し、石炭列車と千代ノ浦の街を照らしました。
(A車・D701)
![知人海岸にて](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_62781.jpg)
2011, 5, 31
知人海岸にて
埼の断崖を回り、まもなく知人駅(貯炭場高架桟橋)に到着します。あたりは知人海岸の砂浜が広がっています。
海が荒れた後の知人海岸は昆布がたくさんうちあがります。
寄せては返す波の音を聞きながら石炭列車を待つのも良いですね。
ここからの夕日はとてもきれいです。
(A車・DE601)
![霧の日、釧路埼をゆく](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_760411.jpg)
2014, 7, 30
霧の日、釧路埼をゆく
(A車・D701)
![霧の日、知人海岸にて](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_758411.jpg)
2014, 7, 30
霧の日、知人海岸にて
(A車・D701)
![石炭列車が知人駅に入ります](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_000211.jpg)
2009, 6, 25
石炭列車が知人駅に入ります。
貯炭場の石炭の山が望めます。
(A車・DE601)
![編成の途中から自動的(機関車からの遠隔操作)に分割](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_00031.jpg)
2009, 6, 25
編成の途中から自動的(機関車からの遠隔操作)に分割
徐行しながら6ユニット(12両)づつ自動的に2つの編成に切り離されます。
そして、切り離された知人側の6ユニット(12両)は、機関車(A車)に牽引されて知人駅(貯炭場高架桟橋)に入ります。
(A車・DE601)
![春採側の6ユニットです](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_000712.jpg)
2009, 6, 25
春採側の6ユニットです
春採側の6ユニット(12両)は機関車(B車)に推進されて知人駅(貯炭場高架桟橋)に入ります。
(A車・DE601)
(B車・D401)
![知人側の6ユニット(12両)は知人駅(貯炭場高架桟橋)に入りました。](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_589512.jpg)
2011, 3, 8
知人側の6ユニット(12両)は知人駅(貯炭場高架桟橋)に入りました。
海側の高架桟橋が1号桟橋(4番線)山側が2号桟橋(3番線)と呼ばれているそうです。
![石炭を取り下ろし中です](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_590211.jpg)
2011, 3, 8
春採側の6ユニット(12両)も高架桟橋に入り、石炭を取り下ろし中です
両方の編成は石炭の排出を始めます。
石炭の排出は貯炭場の状況により、1ユニット(2両)ずつであったり一斉に取り下ろす事もあります。
昔はこの高架桟橋は木製でしたが、昭和14年7月にコンクリート製の1号高架桟橋(海側・4番線)、昭和17年4月に2号高架桟橋(山側・3番線)が完成しました。通称“石炭桟橋”と呼ばれているそうです。
臨港線はCTCの他、知人駅遠隔制御装置(R.C)が設置され、知人駅は駅員無配置となっております。また高架桟橋での荷役作業は釧路港運作業㈱によって行われております。
(A車・DE601)
(B車・D701)
![石炭を取り下ろし(排出)中です](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_363911.jpg)
2011, 2, 19
石炭を取り下ろし(排出)中です
![石炭の取り下ろしが終りました](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_001111.jpg)
2009, 6, 19
石炭の取り下ろしが終りました
再び連結し、春採に戻ります。
石炭の積み下ろし、貨車の連結作業には、臨港線の係員が必ず立会い、安全を確認しているようです。
係員は春採からこの石炭列車に乗り込んで来ているようです。
![春採に戻ります](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_00161.jpg)
2009, 6, 19
春採に戻ります
切り離しから連結まで私が計ったところ7~8分でした。
(A車・DE601)
(B車・D401)
![ブルトーザーで貯炭の山を築きます](https://chaenomeles.net/wp-content/uploads/2020/04/DSC_823911.jpg)
2010, 9, 10
ブルトーザーで貯炭の山を築きます。
※「太平洋石炭販売輸送株式会社」は、令和元年(2019年)6月30日をもって鉄道事業を廃止されたこと等もあり、令和2年(2020年)4月1日に商号を「新太平洋商事株式会社」と改めました。
太平洋石炭販売輸送臨港線・弁天ヶ浜から知人海岸へ