西表島散歩

2021-05-16

「豊原」日本最南端のバス停

2019, 9, 22
西表島交通 (路線バス)「豊原」バス停
日本最南端のバス停です。

西表島交通「豊原」バス停

2019, 4, 16
西表島交通「豊原」バス停

西表島交通「豊原」バス停

2019, 4, 16
西表島交通「豊原」バス停

南風見田の浜 (はえみだのはま)

南風見田の浜

2019, 9, 22
南風見田の浜(はえみだのはま)
戦時中、旧日本軍の命令によって、波照間島の人々などが強制疎開させられた場所。波照間島はマラリア無病地域であったが、ここ西表島南風見田はマラリア有病地域であった。いわゆる“戦争マラリア”の悲劇の場所。

今は穏やかな遠浅の浜が広がっています。

南風見田の浜

2019, 9, 22
南風見田の浜(はえみだのはま)
休憩所より

2019, 9, 22
「ヤマネコ発見の地」碑
南風見田の浜の入口駐車場にあります。

2019, 9, 22
ヤマネコ発見の地碑解説板
イリオモテヤマネコの新種登録のための骨格標本(パラタイプ標本)となったイリオモテヤマネコが捕らえられた経緯などが書かれています。

2019, 9, 22
ギンネム

2019, 9, 22
忘勿石(わするないし)入口
海岸まで木道(階段) が整備されています。

2019, 9, 22
忘勿石之碑建立のあらまし

忘勿石之碑建立のあらまし

波照間公民館始め関東、関西、沖縄本島、石垣、西表島の各波照間郷友会、識名信升先生のご家族及び、縁故者、知人、友人、退職教員、八重山郡内外の各学校、多数の諸社、諸機関の人々の平和を愛する尊い厚意ある御芳志に依って全世界人類の恒久平和を願い、愚かな戦争の為、亡くなった数多くのマラリア犠牲者の精霊供養と遥か波照間島を望む識名先生の遺徳を偲び建立したものである。

忘勿石之碑建立事業期成会
忘勿石之碑

2019, 9, 22
忘勿石之碑

「忘勿石の碑」解説板

2019, 9, 22
「忘勿石の碑」解説板

忘勿石の碑

 この一帯は歴史的な戦争マラリアの悲劇の霊境である 一九四五年四月 波照間の住民が軍命によってこの地に強制疎開させられ多くの人々が熱帯マラリアに罹患して 古里の島影を求めながら亡くなった
 その人々の苦悩はまことに筆舌に尽くしがたいものがある 学童とともに疎開し その学童たちの死を見守りながら 浜辺の岩に「忘勿石」と刻んだ識名信升先生の心情は察するに余りある
 この碑が歴史を語り継ぎ 病没した人々の霊を慰め 平和創造への礎となることを祈り願う

一九九二年八月
琉球大学名誉教授
高良鉄史

「忘勿石の碑」解説板 より

忘勿石

2019, 9, 22
忘勿石

「忘勿石 ハテルマ シキナ」

万感の思いで識名先生が鉄剣で石に刻んだ。

シロノセンダングサ

2019, 9, 22
シロノセンダングサ(キク科)

2019, 9, 22

やぎさん

2019, 9, 22
やぎさんです。

仲間川クルーズ、サキシマスオウの木

「仲間川マングローブクルーズ」さんの船で仲間川を遡り、日本最大サキシマスオウの木へ。

仲間川を遡る

2019, 11, 11
仲間川を遡る
マングローブ林(オヒルギ)

仲間川を遡る

2019, 11, 11
仲間川を遡る

仲間川を遡る

2019, 11, 11
仲間川を遡る
マングローブ林が続く
クルーズ船の方の説明より…マングローブは河口汽水域 に群落を形成するおもにヒルギの仲間の総称で、マングローブという名の植物では無い。
この緩やかな仲間川はかなり上流まで海水が入り込み、汽水域が広がっているそうです。

仲間川を遡る

2019, 11, 11
仲間川を遡る
サキシマスオウの木

仲間川を遡る

2019, 11, 11
仲 仲間川を遡る 間川を遡る
アダン木々

日本最大のサキシマスオウの木

2019, 11, 11
日本最大のサキシマスオウの木
巨大な板根に驚きました。
昔はこの板根で和船を造ったという。

日本最大のサキシマスオウの木

2019, 11, 11
日本最大のサキシマスオウの木

大富

西表島交通 白浜ゆき

2017, 3, 17
西表島交通 (豊原-白浜) 白浜ゆき
仲間橋にて

西表島交通 豊原ゆき

2017, 3, 17
西表島交通(豊原-白浜) 豊原ゆき
大富にて

西表島交通「大富」バス停

2017, 3, 17
西表島交通「大富」バス停

ヤギさん

2017, 3, 17
ヤギさん
大富にて

ヤナネコ注意

2017, 3, 17
ヤマネコ注意

カンムリワシ

カンムリワシ

2017, 3, 17
カンムリワシ

カンムリワシ

2017, 3, 17
カンムリワシ(特別天然記念物)
日本では、八重山にしかいない貴重な鳥。

古見

古見のマングローブ林

2017, 3, 17
古見のマングローブ林

古見のサキシマスオウノキ群落

2017, 3, 17
古見のサキシマスオウノキ群落
サキシマスオウの大きな板根が、不思議な雰囲気を醸しています。

古見のサキシマスオウノキ群落

2017, 3, 17
古見のサキシマスオウノキ群落

古見のサキシマスオウノキ群落

2017, 3, 17
古見のサキシマスオウノキ群落

大見謝ロードパーク

小さな岩畳の渓谷からマングローブ生い茂る海へ。
西表島を凝縮したような場所。
パーキングですが、トイレや売店はありません。

西表島交通「大見謝ロードパーク」バス停

2019, 11, 11
西表島交通「大見謝ロードパーク」バス停

大見謝ロードパーク展望台

2019, 11, 11
大見謝ロードパーク
展望台より美しい海岸線を望む

大見謝ロードパーク

2019, 11, 11
大見謝ロードパーク
ポットホール多い岩畳の小さな渓谷を海岸まで直接下れます。

大見謝ロードパーク

2019, 11, 11
大見謝ロードパーク
岩とマングローブの海岸。

大見謝ロードパーク

2019, 11, 11
大見謝ロードパーク
別の遊歩道を歩いてマングローブ林の中へ

大見謝ロードパーク

2019, 11, 11
大見謝ロードパーク
マングローブ林。

大見謝ロードパーク

2019, 11, 11
大見謝ロードパーク
マングローブ林。

西表島交通「大見謝ロードパーク」バス停

2019, 11, 11
西表島交通「大見謝ロードパーク」バス停

船浦海中道路

船浦の広大な干潟を横断する景色の良い道路。沖縄県最大の滝「ピナイサーラの滝」が望める。

船浦海中道路

2019, 11, 11
船浦海中道路

船浦海中道路 船浦橋

2019, 11, 11
船浦海中道路 船浦橋

船浦海中道路より「ピナイサーラの滝」を望む

2019, 11, 11
船浦海中道路より「ピナイサーラの滝」を望む

船浦海中道路より「ピナイサーラの滝」を望む

2019, 11, 11
船浦海中道路より「ピナイサーラの滝」を望む

船浦海中道路

2019, 11, 11
船浦海中道路
干潟に降りられます。
ヤエヤマヒルギ

船浦海中道路ニッパヤシ群落

2019, 11, 11
船浦海中道路
船浦の「ニッパヤシ」群落

星砂の浜

星砂の浜

2019, 11, 10
星砂の浜
磯に広がる砂浜で“星砂”が見つけられますが、それも今は昔、もう殆ど見られないようです。
ただ磯はとてもキレイで、魚を見ながら磯遊びが良いでしょう。

ハイビスカス

2019, 11, 10
ハイビスカス(アオイ科)
植栽

浦内川 宇多良炭坑跡

西表島交通「浦内川」バス停

2019, 9, 19
西表島交通「浦内川」バス停

ウタラ炭坑跡入口

2019, 9, 19
宇多良炭坑跡入口

「西表自然休養林(宇多良遊歩道)案内図」解説板

2019, 9, 19
「西表自然休養林(宇多良遊歩道)案内図」解説板

西表自然休養林(宇多良遊歩道)案内図

宇多良炭坑の概要
西表炭鉱は1886年(明治19年)から西表島西部を中心に採炭がはじまり、第二次大戦終了後も米軍統治下で数年採炭された長い歴史を持つ沖縄県内で唯一の炭坑である。宇多良は、明治・大正期の成屋や内離島のあと、1936年(昭和11年)に丸三炭坑宇多良鉱業所として開坑された昭和期の西表における代表的な炭坑である。炭坑はジャングルを切り開き、坑夫の宿舎や集会所、食堂、売店などが設置され、坑夫など数百人が昼夜分かたず働いていた。しかし、太平洋戦争がはじまり、1948年(昭和18年)ごろから石炭の輸送が困難となって、事業停止に追い込まれた。炭坑が日本の近代化に果たした功績を記念し、宇多良炭坑遺構も2007年に貴重な「日本近代化産業遺産群」のひとつとして認定された。

林野庁沖縄森林管理署
(資料提供 : 三木健氏 竹富町役場)

西表自然休養林(宇多良遊歩道)案内図より

宇多良遊歩道

2019, 9, 19
宇多良遊歩道
遊歩道は整備されています。

宇多良川

2019, 9, 19
宇多良川
マングローブの趣のある風景が広がります。

宇多良川

2019, 9, 19
宇多良川

「西表島の地形と石炭層」解説板

2019, 9, 19
「西表島の地形と石炭層」解説板

西表島の地形と石炭層

西表島は面積289.27km²、周囲129.99kmと沖縄県下では沖縄本島に次ぐ大きな島である。亜熱帯海洋性気候に属しており、黒潮の影響で一年を通して気温の変化は小さく、湿度は年平均78%と高い。年平均2,000ミリを超える降水量は、島のいたるところに大小の河川と多くの滝を形成し、沖縄県内最長の浦内川をはじめ、亜熱帯の森と水量豊かな河川を支えている。西表島は約1500万年前に海中から隆起した大陸の一部であり、第三紀中新世に堆積した八重山層群と呼ばれる砂岩や頁岩(けつがん)の地層から成っている。この地層の間に厚さ20cmから100cmの石炭層が3枚程挟まれており、特に内離島夾炭部層(うちばなりじまきょうたんぶそう)と呼ばれ、仲良湾周辺及び浦内川周辺に多い。石炭の地層としては比較的浅い場所にあることや、遠く大陸から海流に運ばれ海底に堆積した植物が元となったため、層が薄いのが特徴である。

林野庁沖縄森林管理署
(資料提供 : 三木健氏 竹富町役場)

「西表島の地形と石炭層」解説板より

木道

2019, 9, 19
木道
炭坑跡の遺構付近には木道が整備されています。

「丸三炭坑宇多良鉱業所の全景」解説板

2019, 9, 19
「丸三炭坑宇多良鉱業所の全景」解説板

丸三炭坑宇多良鉱業所の全景

1935年(昭和10年)に宇多良で炭層が発見され翌年に丸三(まるみつ)炭坑によって宇多良鉱業所がジャングルを切り開いて建設された、2階建ての坑夫独身寮、一戸建ての夫婦宿舎、300人収容の集会所兼芝居小屋、医務室や売店など忽然と一つの炭坑村が出現した。

(略)

林野庁沖縄森林管理署
(資料提供 : 三木健氏 竹富町役場)

「丸三炭坑宇多良鉱業所の全景」解説板より

「貯炭場跡」解説板

2019, 9, 19
「貯炭場跡」解説板

宇多良坑の石炭埋蔵量は、480万トンと言われ、1938年(昭和13年)には、月産2500トンを産出していた。採掘された石炭は、坑口から引かれたトロッコに積まれ、この貯炭場まで運ばれた。山積みされた石炭は、宇多良川に横付けされたダルマ船に積まれ浦内川河口の本船まで運ばれた。積み込み作業は川岸に突き出したコンクリートの突堤から下のダルマ船に落とされた。

(略)

林野庁沖縄森林管理署
(資料提供 : 三木健氏 竹富町役場)

「貯炭場跡」解説板より

「炭坑の生活」解説板

2019, 9, 19
「炭坑の生活」解説板

炭坑の生活

炭坑での生活は、ほとんど炭坑村の中で営まれた。坑夫たちの多くは斡旋人の口車にのせられ、九州などの産炭地から来ていた。台湾北部の産炭地から台湾人坑夫も来ていた。中には沖縄(本島)や宮古島から来た人もいた。坑夫たちは、朝5時に起床、6時に坑内に入って採掘し、夕方6時に上がった。給料は炭坑独特の「炭坑切符」と呼ばれた金券で支払われ、炭坑直営の売店から米、酒、しょう油など日常物資を購入した。野菜などは地元の村人から購入していた。一帯はマラリア有病地のため常にマラリアとの戦いを余儀なくされた。

林野庁沖縄森林管理署
(資料提供 : 三木健氏 竹富町役場)

「炭坑の生活」解説板より

「炭坑労働の歴史」解説板

2019, 9, 19
「炭坑労働の歴史」解説板

炭坑労働の歴史

西表炭坑の坑夫の労働は、明治初期に導入された納屋制度を基本としていた。同制度は坑夫から請け負った納屋頭が、坑夫の労働や生活を管理するというもので、特に暴力を伴う強制労働で「圧制炭坑」として坑夫たちから恐れられ逃亡が企てられた。しかし捕えられると厳しい拷問が待っていた。宇多良鉱業所では、こうした汚名を払拭すべく、近代的経営を目指したこともあったが、戦時下の増産体制の中で労働は強化され、再び「圧制炭坑」に戻った。犠牲になった坑夫たちの遺体が墓石もなく周辺に埋められた。また山中に逃げて道に迷い白骨となった坑夫もいた。

林野庁沖縄森林管理署
(資料提供 : 三木健氏 竹富町役場)

「炭坑労働の歴史」解説板

ここはかつて圧制炭坑(いわゆるタコ労働)であったことが解説板には書かれていますが、それすらも無かったように、煩いばかりに鳴く蝉の声と、熱帯林に呑み込まれていくトロッコの支柱、何か異次元の世界にいるようです。

萬骨碑

2019, 9, 19
萬骨碑

宇多良炭坑跡遺構

2019, 9, 19
宇多良炭坑跡遺構
萬骨碑とトロッコのレンガ支柱

トロッコのレンガ支柱

2019, 9, 19
宇多良炭坑跡遺構
トロッコのレンガ支柱

トロッコのレンガ支柱

2019, 9, 19
宇多良炭坑跡遺構
トロッコのレンガ支柱

トロッコのレンガ支柱

2019, 9, 19
宇多良炭坑跡遺構
トロッコのレンガ支柱

トロッコのレンガ支柱

2019, 9, 19
宇多良炭坑跡遺構
トロッコのレンガ支柱

ウタラ炭坑跡遺構

2019, 9, 19
宇多良炭坑跡遺構
散乱した瓶ビールの空瓶に人々の生活の痕跡を見ることができます。

トロッコの支柱

2019, 9, 19
宇多良炭坑跡遺構
トロッコの支柱

トロッコの支柱

2019, 9, 19
宇多良炭坑跡遺構
トロッコの支柱

宇多良炭坑跡遺構

2019, 9, 19
宇多良炭坑跡遺構
コンクリートの構造物

2019, 9, 19
カッコウアザミ(キク科)
帰化植物

2019, 9, 19

2019, 9, 19

浦内川クルーズ、マリユドゥの滝、カンビレーの滝

浦内川観光 さんの船で浦内川を軍艦岩まで遡り、そこから歩いてマリユドゥの滝、カンビレーの滝へハイキング。

浦内川をクルーズ

2019, 11, 10
浦内川をクルーズ

浦内川をクルーズ

2019, 11, 10
浦内川をクルーズ
マングローブ(オヒルギ)群落

浦内川をクルーズ

2019, 11, 10
浦内川をクルーズ

浦内川をクルーズ

2019, 11, 10
浦内川をクルーズ

浦内川をクルーズ

2019, 11, 10
浦内川をクルーズ

浦内川をクルーズ

2019, 11, 10
浦内川をクルーズ

軍艦岩船着き場

2019, 11, 10
上流軍艦岩船着き場

遊歩道を歩く

2019, 11, 10
遊歩道を歩く

マリユドゥの滝

2019, 11, 10
マリユドゥの滝
日本の滝100選に選ばれました。
なかなか優美な滝ですね。
マリユドゥとは「丸い淀み」の意味と言われています。
この展望台まで軍艦岩船着き場から徒歩30分ぐらい。

マリユドゥの滝

2019, 11, 10
マリユドゥの滝

遊歩道を歩く

2019, 11, 10
さらにシダの生い茂る遊歩道を歩きます。

サキシマスオウの木

2019, 11, 10
サキシマスオウの木

琉球政府時代の「禁猟区」の石柱

2019, 11, 10
琉球政府時代の「禁猟区」の石柱

カンビレーの滝

2019, 11, 10
カンビレーの滝
ホットポール(甌穴)が見られます。

マリユドゥの滝展望台から徒歩15分ぐらい。

カンビレーの滝

2019, 11, 10
カンビレーの滝
“神の座”を意味するという。

カンビレーの滝

2019, 11, 10
カンビレーの滝

西表島交通 浦内川バス停

2019, 11, 10
西表島交通 浦内川バス停

祖納(そない)

西表島交通 「祖納」バス停

2019, 4, 16
西表島交通 「祖納」バス停

祖納

2019, 4, 16
祖納

ゲットウ

2019, 4, 16
ゲットウ(ショウガ科)

アリアケカズラ

2019, 4, 16
アリアケカズラ(キョウチクトウ科)

旧新盛家住宅

2019, 4, 16
旧新盛家住宅
旧新盛家住宅は、沖縄最古の民家です。
管理されていないのか、やや荒れていましたが、茅葺きで、高い石垣や樹木で囲まれた様子は、南国の趣のある民家でした。

旧新盛家住宅

2019, 4, 16
旧新盛家住宅

旧新盛家住宅

2019, 4, 16
旧新盛家住宅

コバノセンナ

2019, 4, 16
コバノセンナ(マメ科)

ルリアザミ

2019, 4, 16
ルリアザミ(キク科)
植栽

ハナチョウジ

2019, 4, 16
ハナチョウジ(ゴマノハグサ科)
植栽

2019, 4, 16
西表島交通「祖納」バス停

白浜

白浜港

2019, 4, 18
白浜港

西表島交通「白浜」バス停にて

2019, 4, 16
西表島交通「白浜」バス停にて

西表島交通「白浜」バス停にて

2019, 4, 16
西表島交通(豊原~白浜)豊原ゆき
「白浜」バス停にて

白浜港ターミナル

2019, 4, 18
白浜港ターミナル

白浜港桟橋

2019, 4, 18
白浜港桟橋

白浜港桟橋

2019, 4, 18
白浜港桟橋

白浜港桟橋

2019, 4, 18
白浜港桟橋

白浜港桟橋

2019, 4, 18
白浜港桟橋
船浮ゆきの渡船

白浜港桟橋

2019, 4, 18
白浜港桟橋
船浮ゆきの渡船


この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は DSC_6737_00001.jpg です

2019, 4, 18
栄観光送迎バス(西表島西部地区安栄観光送迎バス)
上原港にて

石垣港で安栄観光の西表島上原ゆき乗船券を購入の際、「白浜まで行く」旨伝えると、 往路の上原港から白浜までの「安栄観光送迎バス(西表島西部地区安栄観光送迎バス)」のチケット(無料)を付けて頂けます。
復路は安栄観光の乗船券で 「安栄観光送迎バス(西表島西部地区安栄観光送迎バス)」に乗車でき、上原港まで戻れます。
なお、「西表島交通」の路線バスには乗車できません。
詳細は石垣港の「安栄観光」様の窓口でお尋ねください。
(2019年現在)

安栄観光送迎バス

2019, 4, 18
安栄観光送迎バス(西表島西部地区安栄観光送迎バス)
上原港にて


船浮

西表島の秘境「船浮」。
西表島ですが、道が繋がってなくて、渡船でのみ訪れる事ができる集落。

船浮港

2019, 4, 18
船浮港

船浮港

2019, 4, 18
船浮港
船浮は人口40名程のとても静かな集落。
緑鮮やかな木々の中に点在する家々、野鳥の囀りが好ましい。

森を歩き…

2019, 4, 18
森を歩き…
聞きなれない動物らしい鳴き声に驚きながら、ジャングルのような森を歩き…

森を抜けると…

2019, 4, 18
森を抜けると…

イダの浜

2019, 4, 18
イダの浜
静かな波の音が聴こえてきます。

イダの浜

2019, 4, 18
イダの浜
穏やかな遠浅のビーチ。白い砂とエメラルドグリーンの海が美しい。
このビーチに辿り着くまでの道のりを考えれば、秘境のビーチのひとつであると思います。

イダの浜

2019, 4, 18
イダの浜

イダの浜

2019, 4, 18
イダの浜

イダの浜

2019, 4, 18
イダの浜

ブーの家

2019, 4, 18
「ブーの家」

猪カレー

2019, 4, 18
猪カレー
猪の肉はなかなか味わいがあります。

イリオモテヤマネコ発見捕獲の地

2019, 4, 18
「イリオモテヤマネコ発見捕獲の地」
初めてイリオモテヤマネコが、発見、捕獲されたと言う場所。

トンネル

2019, 4, 18
トンネル
このンネルを抜けた先に 戦争の遺跡があるそうですが… トンネル崩落の危険があり、一人では危ないので、行くのは止めました。


Posted by でぇあぶつさん