釧路散歩 – 戦跡 –

2020-09-18

釧路に戦争の遺構が残っていないかと釧路の人に聞いたのですが、…「東京にも残っていないだろぅ?それと同じだよ」…という答えでした。

ネットや地元の新聞の記事などで、釧路にトーチカ(特火点)が存在するという事が分かりましたので、探してみる事にしました。

トーチカは太平洋戦争末期旧日本軍が米軍の上陸に備えてコンクリートなどで急遽造った防衛陣地で、銃を構える銃眼が空けられています。
網走、根室、釧路、十勝などのおもに海岸、海岸を見下ろす高台などに残っています。

大楽毛のトーチカ

JR新大楽毛駅から程近い住宅街に、トーチカが一基忽然と現れます。
宅地の一区画に建っているので、不思議な印象を受けます。

大楽毛のトーチカ

2011, 7, 1
大楽毛のトーチカ

コンクリート製です。

大楽毛のトーチカ

2011, 7, 1
大楽毛のトーチカ

別の角度から。
夏草に埋もれています。
この一画だけが戦時中のまま、時の流れが止まった感じです。

大楽毛のトーチカ

2011, 7, 1
大楽毛のトーチカ

銃眼が開けられています。

阿寒川河口のトーチカ

JR新大楽毛駅の隣の大楽毛駅に程近い、阿寒川の河口に一基トーチカがありました。

阿寒川河口のトーチカ

2011, 7, 1
阿寒川河口のトーチカ

半分崩れている感じです。
レンガ製です。
夏草に埋もれていました。

阿寒川河口のトーチカ

2011, 7, 1
阿寒川河口のトーチカ

阿寒川河口のトーチカ

2011, 12, 16
阿寒川河口のトーチカ

冬の様子です。

四代目幣舞橋親柱

四代目幣舞橋親柱

2012, 11, 12
四代目幣舞橋親柱

釧路市立博物館の玄関の陰に、ひっそりと「四代目幣舞橋親柱」が保存されています。
この柱は次のような経緯があります。

 四代目幣舞橋親柱

釧路で最初の永久橋の頭部をかざった親柱である。南橋詰の下流にすえられた柱で、釧路空襲の爆撃で川底に沈められた。五代目幣舞橋のかけかえで、30年ぶりに引き揚げられた。

解説板より

栄町平和公園

栄町平和公園

2018, 5, 26
栄町平和公園

この付近は木造住宅密集地域だったため、空襲により火災が発生し、多くの方々が亡くなりました。

碑文より

 終戦の年、昭和二十年七月釧路市は激しい空襲に見舞われ、多くの市民の尊い命や財産が失われました。
 本年は戦後五十年にあたり、釧路市が「核兵器廃絶平和都市」宣言をして十周年を迎えました。
 ここにかっての被災地の中心である栄町公園を「栄町平和公園」と改称して、戦争の悲惨さを次の世代に伝え、永年の平和を願うものであります。

平成七年八月十五日
釧路市長 鰐淵俊之碑文より
栄町平和公園

2011, 10, 20
栄町平和公園

西港臨海公園 慰霊之碑

戦後も戦禍が続く

西港臨海公園 慰霊之碑

2011, 11, 8
西港臨海公園 慰霊之碑

JR根室線 新富士駅に近い西港臨海公園の片隅に「慰霊之碑」があります。
これは戦後、炊事遠足に来た釧路の小学校の児童が、流れ着いた旧日本軍の爆弾(終戦時旧日本軍が知人沖に海洋投棄したものと言われている)に触れて死傷するという惨事を慰霊する碑です。

 昭和四十年十月五日共栄小学校六年生三百五十七名がこの海岸に炊事遠足をしていました
その時 流れ着いた爆発物によって一瞬にして四名の尊い命が奪われ  四十数人が重軽傷を負う悲しい事故がありました
子供の世界は いつも平和と幸せが約束されていなければなりません 二度とこんなことがないよう すべての子らが 明るく 強く育つようにと父母が願いをこめてここに慰霊之碑を建立しました

祈冥福
(ここに四名の児童の名前が刻まれています。)

昭和五十二年十月五日
新富士海岸共栄小学校炊事遠足事故
慰霊碑建立期成会

銘版より

Posted by でぇあぶつさん