釧路散歩 – 夕暮れ –

2023-12-20

釧路の夕暮れはとてもロマンチックで好きです。
のんびり夕暮れの釧路の街を歩いてみました。

夕暮れの幣舞橋

2009, 5, 13
夕暮れの幣舞橋

ぬさまい公園から夕暮れの幣舞橋の眺めです。

幣舞橋は北海道三大名橋(札幌の豊平橋、旭川の旭橋)のひとつです。
現在の橋で五代目だそうで、四本の橋脚にそれぞれ別々の作家による一体づつの女性のブロンズ像を飾るという、とてもロマンチックな橋です。
夕方から夜にかけてがこの橋の美しさが際立ちます。

幣舞橋は10回 釧路市都市景観賞特別賞を受賞 (2004年)しました。

ぬさまい公園のヌサ

2009, 10, 29
ぬさまい公園のヌサ(アイヌの人々の祭壇)

幣舞は祭壇のある所…アイヌ語でヌサマイとはヌサ(祭壇)・オマ(ある)・イ(所)を意味します。
この現在の祭壇はごく最近作られたようですが、いずれにしてもアイヌの生活と深く関係があった所だと思われます。

夕暮れの街に遠い昔の人々の“想い”を見たような感じでした。

幣舞橋 「道東の四季」

幣舞橋に飾られている四体のブロンズ像です。

道東の四季「春」

2013, 10, 18
道東の四季「春」
舟越保武 作

道東の四季「夏」

2013, 10, 18
道東の四季「夏」
佐藤忠良 作

道東の四季「秋」

2013, 10, 18
道東の四季「秋」
柳原義達 作

道東の四季「冬」

2013, 10, 18
道東の四季「冬」
本郷新 作

夕空の春の像

2011, 3, 7
夕空の春の像

柔らかな夕焼け空の中、柔らかな春の像が浮かんでいました。

夕空の夏の像

2015, 10, 7
夕空の夏の像

ワインレッドに染まる空

2015, 10, 9
ワインレッドに染まる空

夕暮れの幣舞橋をゆく“たくぼく循環線”

2009, 1, 28
夕暮れの幣舞橋をゆく“たくぼく循環線”

埠頭の残照

2022, 11, 18
埠頭の残照

夕空の彩

2015, 10, 7
夕空の彩

空が焼けて、とてもきれいでした。

夕暮れのMOO

2015, 11, 4
夕暮れのMOO

夕暮れのMOO岸壁

2011, 1, 30
夕暮れのMOO岸壁

冬の日の夕暮れはとても静かです

釧路川河口の夕暮れ

2011, 1, 30
釧路川河口の夕暮れ

MOO岸壁の漁船

2010, 11, 10
MOO岸壁の漁船

まもなくこの漁船は、漆黒の闇の中、太平洋の荒波へ出漁します。

夕暮れのMOO

2009, 10, 28
夕暮れのMOO

ラビスタ釧路川より
ホテルの海側の客室より。夕暮れのMOOや釧路川の眺望が素敵です。

釧路川河口の夕景

2012, 2, 26
釧路川河口の夕景

釧路全日空ホテルから

夕暮れの幣舞橋

2013, 6, 7
夕暮れの幣舞橋

夕暮れの釧路川河畔

2013, 6, 7
夕暮れの釧路川河畔

夕暮れのロータリー

2009, 6, 24
夕暮れのロータリー

夕暮れの釧路川河畔

2010, 10, 20
夕暮れの釧路川河畔

港文館

2011, 1, 30
港文館

旧釧路新聞社社屋を復元して、石川啄木の資料を展示してあります。また喫茶も営業しています。
仕事を終えた啄木と会えるような雰囲気ですね。

河畔公園

2009, 6, 24
河畔公園

この日は霧はでませんでしたが、霧の夜、この釧路川沿いの遊歩道で告白すると、恋が実ると言われています。

不思議な光

2016, 7, 7
不思議な光

北大通の街灯

2016, 10, 28
北大通の街灯

久寿里橋から夕暮れの釧路川を望む

2012, 10, 27
久寿里橋から夕暮れの釧路川を望む

久寿里橋から夕暮れの釧路川を望む

2010, 11, 10
久寿里橋から夕暮れの釧路川を望む

浪花倉庫

2011, 1, 29
浪花倉庫

鉄道の開通と共に穀物倉庫として造られたそうです。
石川啄木が降り立った“さいはて”の釧路停車場(旧浜釧路駅)はここから近い所にあり、啄木が雪明りの中に“さびしき”風景の一つとしてこの倉庫が目に飛び込んできたのかもしれません。

浪花十六番倉庫

2011, 1, 29
浪花十六番倉庫

夕暮れの釧路駅バスのりば

2016, 1, 8
夕暮れの釧路駅バスのりば

波止場通りの夕暮れ

2009, 5, 18
波止場通りの夕暮れ

高台にある浦見の“波止場通り”の夕暮れです。下り坂になって、港の夕景が広がります。

米町公園にて

2009, 6, 24
米町公園にて

夕景を見に、地元の若い方々が自転車で訪れています。
賑やかな“青春の会話”が聴こえてきます。

石川啄木も約100年前の月夜の晩、この米町公園(知人岬)下の海辺で、友人達と“青春の会話”をしていたようです。

啄木日誌より

啄木日誌より

「三月十五日
 日曜日。第三小学校の児童学芸会へ午后一時から臨席。半日を天真爛漫の裡に遊んで夕刻帰宿。
 梅川と三尺が来て歌留多。小泉佐藤らも一寸来て帰つた。横山が巧く芝居をやつてくれて、三尺は、モウ之で満足だから今後来ぬと云ふて帰る。十時頃。横山と共に二人を送つて行つて、帰りに波止場の先の荷揚場へ行つた。
十五夜近い月が皎々と照つて、ヒタヒタ寄せくる波の音が云ふ許りなくなつかしい。船が二隻碇泊して居る。感慨多少。名刺を波に流した、二人も流した、芸者の名刺も流した。潮が段々充ちて来た。自分らは、梅川の袂に入れて行つたビスケツトを噛つて、“自然”だと連呼した。
 月が明るい。港は静かだ。知人岬の下の岩に氷交りの波がかかると、金剛石の如く光る。光る度に三人は声を揚げて“呀”と叫んだ。三人! 二人は男で一人は女! 三人は“自然”だと叫ぶ。三人共自然に司配されて居る。そして寧ろそれを喜ぶものの如くであつた。噫、自然か、自然か。此夜の月は明かつたが。
“三月十五日は忘れまい”、と一人が云ひ出した。“さうだ、忘られぬ”と一人が応じた。かくて此三人を“ビスケット会”と名づけた。“ビスケット会は自然によつて作られ、自然を目的とす”と誰やらが云ひ出した。“毎月十五日には、お互何処に居ても必ずビスケットを食ふことにしませう”と女が附加した。二時頃月を踏んで帰つて寝る。
 三尺事件の前篇は、ビスケット会で結末になる。まだ後編が必ずある、必ずあると云ふ様な気がして、我知らず眠つた。」

石川啄木著「明治四十一年日誌」明治四十一年三月十五日
石川啄木全集 第五巻 筑摩書房 昭和53年4月25日 初版より

石川啄木著「明治四十一年日誌」明治四十一年三月十五日
石川啄木全集 第五巻 筑摩書房 昭和53年4月25日 初版より

知人の貯炭の山と臨港線の線路

2009, 12, 4
知人の貯炭の山と臨港線の線路

知人海岸の夕暮れ

2023, 12, 8
知人海岸の夕暮れ

夕暮れの選炭工場

2011, 1, 31
夕暮れの選炭工場

春採の選炭工場の夕暮れです。
まだ日本の石炭は生きているという事を伝えているかの如く、構内から明りがもれています。

夕暮れの千代ノ浦

2011, 12, 1
夕暮れの千代ノ浦

山並みは日高山脈です。

暮色の知人海岸

2014, 2, 24
暮色の知人海岸

夕暮れの末広の街

2015, 11, 4
夕暮れの末広の街

夕暮れの末広の街

2016, 7, 3
夕暮れの末広の街


釧路散歩 – 夕暮れ –

Posted by でぇあぶつさん