相模大野散歩 – 冬 –

2021-05-13

2019, 12, 16

相模大野駅南口 初冬

2019, 12, 16

相模大野駅南口 初冬

2013, 12, 23
ステスクのクリスマスツリー

2019, 12, 24

ロビーシティのクリスマスツリー

季節の橋(旧伊勢丹)

2014, 12, 23
季節の橋(旧伊勢丹)


ボーノ相模大野

2020, 1, 1
ボーノ相模大野

ボーノ相模大野から駅北口

2020, 1, 1
ボーノ相模大野から駅北口

ボーノ相模大野

2020, 1, 1
ボーノ相模大野

ボーノ相模大野

2021, 1, 1
ボーノ相模大野

ボーノ相模大野

2021, 1, 1
ボーノ相模大野

コリドー

2020, 1, 1
コリドー

コリドー

2020, 1, 1
コリドー

コリドー

2020, 1, 1
コリドー

コリドー

2020, 1, 1
コリドー

鹿島神社 初詣

2015, 1, 2
鹿島神社 初詣

大道稲荷社

2015, 1, 2
大道稲荷社

鹿島神社付近の旧道に稲荷様がありました。
小川が流れて雰囲気があります。
こんな小さな社でも、ちゃんと祀られていますね。
お袋の話では、渋谷家(この付近の地主)の講中がお祀りしているお稲荷様であるという事です。

2015, 1, 2
大道稲荷社

御幣

2016, 1, 1
御幣
上鶴間本町

この辺りは古くからの家が多いので、昔からの習慣が残っているのでしょう。
家の敷地の角地にあり、お袋に以前訊ねた事があったのですが、分からないという事でした。
ネットで調べたら御幣とは「神様をお招きする標」という事でした。

御幣

2016, 1, 1
御幣
上鶴間本町

御幣

2019, 1, 1
御幣
上鶴間本町

道祖神と力石

2016, 1, 1
道祖神と力石
昔、若者が力比べをしたと言われている石です。
正月の飾りつけがされていました。

「庚申堂」と「武相冬お召し服講 題目塔」

2020, 1, 1

「庚申堂」と「武相冬お召し服講 題目塔」
旧道 谷口交差点

「お召し服講」とは長栄山池上本門寺日蓮聖人(祖師)像にお着せる「お召し服」を奉納する団体。起源は江戸中期、冬のお召し服講は付近の七ヶ村で構成されていたという。
柿生駅前には「夏」の題目塔があり付近の六ヶ村で構成された夏のお召し服講があったという。
(解説板より)

以前は痛みの激しい石塔で、何の石塔かもわからなかったのですが、令和元年9月に再建され、詳しい解説板が設置されました。

谷口山野稲荷神社

2017, 1, 3
谷口山野稲荷神社

中和田天神稲荷

2020, 1, 1
中和田天神稲荷

中和田天神稲荷

2020, 1, 1
中和田天神稲荷

惣吉稲荷神社

2020, 1, 1
惣吉稲荷神社

惣吉稲荷神社

2020, 1, 1
惣吉稲荷神社

茨山稲荷神社

2020, 1, 1
茨山稲荷神社

道祖神

2020, 1, 1
玉垣の坂の道祖神

2020, 1, 1
府中道

行幸道路に沿って、「府中道」と呼ばれる細い古道が所々に残っています。
昔、府中へ向かう人々が行き来したのでこのように呼ばれていたそうです。この他「町田道」「厚木道」とも呼ばれていたそうです。
(石柱の解説より)

森のいりぐち~冬の日

2014, 1, 12
森のいりぐち~冬の日

森の交差点~冬の日

2014, 1, 12
森の交差点~冬の日

力石

2019, 1, 13
力石
正月のお飾りが奉納されていました。

マンホールの蓋

2014, 1, 16
マンホールの蓋

八王子道

2014, 1, 14
八王子道

国道16号線に沿って、「八王子道」と呼ばれる旧道があります。
この道は昔、八王子から横浜へ「絹」を運ぶ道のひとつでありました。

周囲は新興住宅地に変って行きましたが、大きなケヤキの木のそびえる屋敷がまだ残っています。

八王子道

2015, 1, 1
八王子道

ケヤキの大木

2014, 1, 31
ケヤキの大木

山王神社

2014, 1, 18
山王神社

山王神社

2014, 1, 18
山王神社

地蔵堂

2020, 2, 9
地蔵堂

地蔵堂の横の石塔

2020, 2, 9
地蔵堂の横の石塔

道祖神

2020, 2, 9
道祖神

日枝神社の横の石塔

2020, 2, 9
日枝神社の横の石塔


初午(はつうま)とは…二月になって最初の午(うま)の日。稲荷神社の祭りが行われます。

大沼稲荷

2015, 2, 11
大沼稲荷
初午(はつうま)の日

大沼稲荷

2015, 2, 11
大沼稲荷
初午の日

大沼稲荷

2015, 2, 11
大沼稲荷
初午の日

大沼稲荷

2015, 2, 11
大沼稲荷
初午の日、お供え物が上がっていました。地域の方々により稲荷信仰が続けられているようです。


谷口の大道稲荷社も初午の日にはお供え物が上がっていました。

大道稲荷 初午の日

2020, 2, 9
大道稲荷
初午の日

大道稲荷 初午の日

2020, 2, 9
大道稲荷
初午の日

いつもは閉ざされている扉が開けられて、お供え物(油揚げや煮干し)が上がっていました。

大道稲荷 初午の日

2020, 2, 9
大道稲荷
初午の日


相模緑道緑地、雪降る日

2013, 1, 14
相模緑道緑地、雪降る日

相模緑道緑地、雪降る日

2013, 1, 14
相模緑道緑地、雪降る日

相模緑道緑地、雪降る日

2014, 2, 8
相模緑道緑地、雪降る日

雪の降る日の遊具

2014, 2, 8
雪の降る日の遊具

森のいりぐち~雪の降る日

2014, 2, 8
森のいりぐち~雪の降る日

森の交差点~雪の日

2014, 2, 8
森の交差点~雪の日

神奈中バス、雪降る日

2014, 2, 8
神奈中バス、雪降る日

相模大野、雪降る日

2014, 2, 8
相模大野、雪降る日

ボーノ相模大野、雪降る日

2014, 2, 8
ボーノ相模大野、雪降る日

相模大野北口、雪降る日

2014, 2, 8
相模大野北口、雪降る日

森のいりぐち~雪の朝

2014, 2, 5
森のいりぐち~雪の朝


日差しが暖かくなって来ました。ちょっと散歩。

報徳二宮神社

2020, 2, 24
相模大野 報徳二宮神社

報徳二宮神社

2020, 2, 24
相模大野 報徳二宮神社

報徳二宮神社

2020, 2, 24
相模大野 報徳二宮神社
二宮尊徳像

相模大野南口

2015, 2, 27
相模大野南口
神奈中バス「大13系統 中和田循環」

日枝神社

2015, 2, 27
日枝神社

日枝神社

2016, 2, 11
日枝神社

日枝神社

2016, 2, 11
日枝神社

日枝神社 解説板

2016, 2, 11
日枝神社 解説板

御祭神
日枝神社 大山昨命 おおやまくいのかみ
(合祀社)
神明社 天照大神 あまてらすおおみかみ
鹿嶋社 武甕槌神 たけみかづちのみこと
八幡社 応神天皇 おうじんてんのう

由来
創立ははっきりしないが、昔から、山王社、神明社、鹿嶋社、八幡社を以て村の鎮守と称してきた。
 明治維新の際、地形、所在地等総合的に判断し、明治四年山王社を以て日枝大神(ひえおおかみ)と称し、明治六年村社に列せられた。
 その後、大正十一年六月、無格社である神明社、鹿嶋社、八幡社を日枝大神に合祀する。
 なお、日枝大神のことを日枝神社と呼んでいたことから、昭和十九年より日枝神社と呼ぶように変更した。

– 解説板より –

日枝神社 解説板より

下森稲荷

2015, 2, 27
下森稲荷

早春のバス通り

2015, 2, 28
早春のバス通り

茨山(ばらやま)稲荷神社

2015, 3, 2
茨山(ばらやま)稲荷神社

茨山(ばらやま)稲荷神社

2015, 3, 2
茨山(ばらやま)稲荷神社

茨山(ばらやま)稲荷神社の由緒 沿革

2015, 3, 2
茨山(ばらやま)稲荷神社の由緒 沿革

稲荷神社の由緒 沿革

茨山稲荷神社

御祭神
大宮能売命(おおみやのめのみこと)
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

 当稲荷神社は安永七年(一七七八年)徳川十代将軍家治の時代、今から二三一年にすでに祀られていたと思われます。京都伏見稲荷大社本宮より御霊を分霊して受けたものです。
 住民の生活はその殆どが農家であったが、地形は水利の便が悪く、農家の主な生産物の米も水稲は僅かで陸稲や麦等が主であったが、それも年貢と自給分の外には売って現金を得る程の余裕はあまり無かった。副業以上に力を入れて現金収入の目的で営まれた養蚕も技術の遅れと病害や天候等に左右さて、春、秋、晩秋と年三回の努力も無駄になる事が極めて多く、商売繁盛の外に五穀の豊穣と養蚕成就の御加護を願って、稲荷神社を建立したものと思量されます。
 社会の変遷により養蚕農家もなくなり、現在では心願成就、家内安全、学業成就、交通安全など招福除災の神として信仰されています。

 平成二三年(二〇一一年)八月吉日

解説板より抜粋
子育て地蔵

2016, 2, 11
子育て地蔵

竹林から望む家並み

2016, 2, 11
竹林から望む家並み
中和田天神上公園にて

惣吉稲荷神社

2015, 3, 2
惣吉稲荷神社

惣吉稲荷神社

2015, 3, 2
惣吉稲荷神社

惣吉稲荷神社

2015, 3, 2
惣吉稲荷神社

「惣吉稲荷神社御由緒の概要」 解説板

「惣吉稲荷神社御由緒の概要」 解説板

由緒沿革

一 稲荷神社祭神の由来については一般に「稲生り」の意味から稲の豊作を守護する神とされ、和銅四年(七一一年)元明天皇の頃に泰公伊呂具(はたきみいろく)が五穀を司る倉稲魂神(うかのみたまのかみ)を鎮守神として創始されたと伝えられている。
 角来諸々の家業繁栄(農産業の豊作、商業の繁昌、屋敷の守り及び立身出世等)の守護神として開運を祈り、広く崇敬信仰されるに至っている。

一 惣吉稲荷神社の稱号については、往時当神社の北側に浄土宗の無量山西光寺が在り、この寺には三州岡崎出身の徳川家譜代の家臣で地頭大岡吉十郎義成夫妻の位牌があったといわれている。
 義成は天正十九年(一五九一年)五月 上鶴間村の一部参百石の扶持が與えられ村の草分けである高木及び小木の両氏を名主に用いて領地の運営を司り、のちに扶持参百参拾石に加増され慶長四年(一五九九年)四十二才で歿した。
 当神社境内の西側に並んで現存する義成夫妻の墓碑は、二代作左衛門が建てたものである。
 大岡家には惣吉という稀にみる実直な忠僕があり、主家に仕えて忠誠のまことを盡し、義成歿後は自ら進んで西光寺の寺男となり生涯をその墓守りに捧げた。
 のちに西光寺は、末社である惣吉稲荷神社を残して廃寺となったが、忠僕惣吉の誠忠善行と篤い信仰心を賛え敬慕尊敬した人達は、「惣吉稲荷神社」と命名したという伝承もある。

(略)

「惣吉稲荷神社御由緒の概要」解説板より

「惣吉稲荷神社御由緒の概要」解説板より


🌳相模大野散歩 – 冬 –

Posted by でぇあぶつさん