太平洋石炭販売輸送臨港線・春採湖にて

2022-11-07

北海道釧路市では、まだ現役の炭鉱<釧路コールマイン>が稼働しています。
その石炭を運ぶために「太平洋石炭販売輸送臨港線」という私鉄の貨物専用鉄道(炭鉱鉄道)が存在していました。

“日本に残る最後の石炭列車”ということで、一部の鉄道ファンの方々にはとても人気がありましたが、残念ながら2019年3月末日で運休、6月末日で廃止となりました。


2019年4月6日(土)「釧路臨港鉄道の会」様主催の「石炭列車さよならセレモニー」の一つのイベントとして“石炭列車さよなら運行”が行われました。

午前中は「保安列車」1往復運行(春採-知人間)、そしてお昼頃に「石炭列車さよなら運行」1往復運行(春採-知人間)です。

保安列車

2019, 4, 6
「保安列車」
午前中に「保安列車」1往復運行。(春採-知人間)

2019, 4, 6
「石炭列車さよなら運行」
お昼頃に「石炭列車さよなら運行」1往復運行。(春採-知人間)
この2往復目が本当にラストラン、最後の運行です。


北海道釧路市にある「釧路コールマイン」の石炭の輸送は太平洋興発㈱に業務委託しておりますが、その大部分を占める電力用炭は選炭工場より太平洋石炭販売輸送臨港線、一部トラックにより港に輸送し、船舶にて神奈川県磯子、兵庫県高砂などの火力発電所(いずれもJ-POEWER電源開発㈱)に輸送されていました。
太平洋石炭販売輸送㈱は太平洋興発㈱のグループ企業(子会社)であり、鉄道事業(臨港線の運営)の他、石炭販売、倉庫業、不動産業、造園業などを行っているそうです。

もともとこの鉄道は旧太平洋炭礦の石炭運搬を目的に大正14年2月12日に営業を始めた「釧路臨港鉄道」でしたが、昭和54年4月30日に合併により太平洋石炭販売輸送㈱の鉄道部門となりました。

この臨港線は春採湖にある「釧路コールマイン」選炭工場から、知人の浜の貯炭場までの4.0kmを、湖畔の静かな遊歩道や住宅街、千代ノ浦の美しい海岸線の風景の中、独自の“シャットル・トレーン方式”と呼ばれる編成の前後にそれぞれ機関車を連結し(プッシュプルのような形)、機関車の入れ替えなしに往復運転、石炭の積み下ろしは編成を2つに分割、そして石炭の排出および貨車の分割併合は運転室からの遠隔操作で行うなど、効率的な輸送を行っておりました。
一列車あたりの最大輸送量は720tで、一日6往復設定されておりますが、出炭量によって運行本数は変更され、採炭の切羽が稼動しない時は1~2往復のみとなります。また一往復あたりの所要時間は、積み下ろし時間を含めて約50分かかりました。

釧路の近代的な炭鉱は大正9年に木村組釧路炭鉱(大正6年に安田炭鉱を買収)と三井鉱山釧路炭鉱が合併してできた「太平洋炭礦」でしたが、国のポスト8次石炭政策(1992~2001年)やコスト削減等による経営規模縮小などにより平成14年(2002年)1月30日に一旦閉山し、翌日から「釧路コールマイン㈱」という全く別の資本の会社に採炭業務等が引き継がれました。これにより太平洋石炭販売輸送㈱と釧路コールマイン㈱は全く資本関係の無い会社となりました。
釧路コールマインは主に採炭の他、海外から研修生を迎え、日本の進んだ採炭技術を海外産炭国に技術移転するという事業なども行っているそうです。

釧路の採炭は安政3年1856年、函館港開港にともなって外国船への石炭補給を目的に、官営炭鉱としてオソツナイ(桂恋海岸)と白糠で行われました。
その後、明治20年に川湯硫黄山の硫黄採掘の付帯事業として春採(春鳥炭山)が拓かれました。当時は駄馬や馬車鉄道(安田の馬鉄)などにより港まで運ばれたそうです。明治の末に釧路を訪れた放浪の歌人石川啄木も、きっと米町あたりでこの馬車鉄道と出会っていた事でしょう。


太平洋石炭販売輸送臨港線の運行はダイヤがあるものの出炭状況により不定期、また貨物専用の私鉄であり、尚且つ少人数(5名ほど)で運行されているため、業務に支障をきたすと思いますので、撮影のために電話等で運行状況を問い合わせる事は遠慮し、列車が来るまでひたすら待つのが一つの楽しみでもありました。

列車が来るか来ないかはその日の運次第。

列車が来なくてもきっと何かを見つけられるでしょう。春採湖にはたくさんの鳥が生息し野の花が咲きます。千代ノ浦では釣りをする人々がいます。海草を採る人々、昆布を干す人々がいます。そんな都会ではお目にかかれない風景を一日眺めていました。

そんな鉄道も今となっては過去のものとなり、とても残念です。


釧路の浦見というところにかつて「休坂」という民宿があって、ここのオーナーのMさんがこの鉄道のファンで、「この鉄道の写真を撮ってホームページに載せてみては」というご助言があり、釧路にぽつぽつと通ってスナップ写真ですがこの鉄道を撮ってみました。

この鉄道の写真(このコーナー)が私のホームページの始まりでもありました。

そして、「釧路臨港鉄道の会」様主催の“海底力ツアー”等に参加して色々とお話しを頂いたり、関係資料等を読んだりして、この石炭列車の事が分かってきました。


なお、「太平洋石炭販売輸送株式会社」は臨港線廃止後、会社名を「新太平洋商事株式会社」と変更されておられます。


春採駅

2016, 6, 10
春採駅

石炭列車が停車中です。
石炭列車の知人側の先頭は、DE601です。

ひぶな坂下の「桜ヶ岡踏切」から。

春採駅

2016, 5, 19
春採駅

今日の先頭はD701ですね。

 石炭積み込み中

2009, 6, 24
石炭積み込み中

春採駅構内にある選炭工場の精炭ポケットで石炭を積み込み中です。

連接式石炭車のため、2両が1ユニットとなります。
編成を6ユニット(12両)づつ2つの編成に分割して、同時並行で石炭を積み込みます。
道路から撮影しております。

この青い機関車は、DE601です。

選炭工場

2015, 10, 7
選炭工場

建物の反対側に回ってみると、石炭積み込み時、石炭列車が顔を出します。
選炭工場を見下ろす道路から撮影しています。

この赤い機関車はD401です。

ひぶな坂から春採湖と石炭列車を望む

2009, 6, 24
ひぶな坂から春採湖と石炭列車を望む

春採駅を出た石炭列車は、桜ヶ岡踏切を渡り、春採湖畔の遊歩道に沿って続く直線の線路を、時速30キロの速度でゆっくり走っていきます。
この直線の線路は臨港線唯一との事です。
編成の前と後に機関車を連結した“シャットル・トレーン方式”で運転されます。
写真の赤い機関車は編成の後ろの機関車(D401)で、先頭は青い機関車(DE601)です。列車は写真左手、春採湖の先、青い太平洋に向かって進んで行きます。
線路の手前付近は昔の貯炭場の跡で、今はズリなどで盛られた草原になっております。
春採湖の向こうの丘の上の右の立派な建物は釧路市立博物館で、釧路出身の建築家、故毛綱毅曠さんの設計です。

A車(知人側の機関車)DE601
B車(春採側の機関車)D401

ひぶな坂から春採湖と石炭列車を望む

2016, 7, 5
ひぶな坂から春採湖と石炭列車を望む

(A車・DE601)
(B車・D801)

桜咲くひぶな坂から

2016, 5, 19
桜咲くひぶな坂から

春になると、ひぶな坂にはエゾヤマザクラとクシロヤエが咲きます。

(A車・D701)
(B車・D801)

タンポポの咲く季節

2013, 6, 8
タンポポの咲く季節

この付近は、臨港線唯一の直線区間です。

(A車・D701)
(B車・D801)

ひぶな坂を望む

2009, 6, 24
ひぶな坂を望む

ひぶな坂の名称は昭和60年、市民からの公募で決まりました。
昔はひぶな坂は断崖でしたが、石炭採掘時に出るズリ(価値の無い石)で埋め立てられたそうです。

坂の上の中央やや左の台形の屋根の灰色の建物は「六花亭春採店」で、喫茶室からすばらしい春採湖の展望を眺めながら軽食が楽しめます。

(A車・DE601)
(B車・D401)

晩秋の春採湖をゆく

2016, 11, 9
晩秋の春採湖をゆく

(A車・DE601)
(B車・D801)

早春の春採湖をゆく

2016, 3, 23
早春の春採湖をゆく

(A車・D701)
(B車・D801)

マタタビの木と石炭列車

2016, 7, 5
マタタビの木と石炭列車

(A車・DE601)
(B車・D801)

芽吹きの春採湖をゆく

2016, 5, 21
芽吹きの春採湖をゆく

(A車・D701)
(B車・D801)

観月園の丘から(エゾヤマザクラ咲く頃)

2016, 5, 21
観月園の丘から(エゾヤマザクラ咲く頃)

(A車・D701)
(B車・D801)

観月園の丘から(初夏)

2013, 6, 8
観月園の丘から(初夏)

臨港線唯一の直線の線路が望めます。
石炭列車はこの季節、新緑の中を進んで行きます。

(A車・D701)
(B車・D801)

観月園の丘から(晩秋)

2014, 10, 22
観月園の丘から(晩秋)

春採湖畔の名残の紅葉をかき分けながら石炭列車が来ました

(A車・DE601)
(B車・D701)

秋めく観月園の丘から

2017, 10, 5
秋めく観月園の丘から

(A車・DE601)
(B車・D801)

観月園の丘から(初冬)

2009, 12, 5
観月園の丘から(初冬)

この季節、春採湖が半分ぐらい結氷してきました。

線路際の建物は春採下水ポンプ場です。春採湖に流れた生活廃水(春採排水川)を浄化するために、古川終末処理場に送っているそうです。
春採湖は日本で一、ニを争う?汚れた湖沼でしたが、このような対策のお陰で、徐々に水質が改善されてきたようです。

(A車・D701)
(B車・D801)

早春の観月園の丘から

2019, 3, 28
早春の観月園の丘から

(A車・DE601)
(B車・D801)

早春の観月園の丘から

2019, 3, 28
早春の観月園の丘から

(A車・DE601)
(B車・D801)

ルピナスが咲く沿線

2009, 6, 24
ルピナスが咲く沿線

春採湖畔の貯炭場跡の草原には、初夏、ルピナスの花が咲きます。
荒地に彩をと、誰かがルピナスの種を蒔いたのでしょう。

(B車・D401)

ルピナスが咲く沿線

2009, 6, 24
ルピナスが咲く沿線

(A車・DE601)

ルピナスが咲く沿線

2011, 7, 1
ルピナスが咲く沿線

(A車・D701)

ルピナスが咲く沿線

2011, 7, 1
ルピナスが咲く沿線

(B車・D801)

ルピナスが咲く沿線

2011, 7, 1
ルピナスが咲く沿線

(A車・D701)

新緑の遊歩道

2013, 6, 8
新緑の遊歩道

緑の中を石炭列車が走って行きました。

(A車・D701)
(B車・D801)

秋色の春採湖畔をゆく

2014, 10,22
秋色の春採湖畔をゆく

(A車 ・DE601)
(B車 ・D701)

冬枯れの遊歩道

2013, 12, 11
冬枯れの遊歩道

(A車・DE601)
(B車・D801)

ユウゼンギクと石炭列車

2014, 9, 18
ユウゼンギクと石炭列車

初秋のある日、遊歩道沿いのユウゼンギクの咲き乱れる中を、石炭列車が走っていきました。

(A車・DE601)
(B車・D801)

ユウゼンギクと石炭列車

2014, 9, 18
ユウゼンギクと石炭列車

(A車・DE601)
(B車・D801)

ユウゼンギクの群落の中をゆく

2011, 9, 28
ユウゼンギクの群落の中をゆく

(A車・DE601)
(B車・D401)

ハマナスの花の中をゆく

2017, 7, 5
ハマナスの花の中をゆく

(A車・DE601)

春爛漫の春採湖畔にて

2011, 5, 31
春爛漫の春採湖畔にて

タンポポとエゾヤマザクラの中を石炭列車が走っていきました。

(B車・D801)

春爛漫の春採湖畔にて

2016, 5, 20
春爛漫の春採湖畔にて

(A車・D701)

春爛漫の春採湖畔にて

2016, 5, 20
春爛漫の春採湖畔にて

(B車・D801)

春爛漫の春採湖畔にて

2017, 5, 25
春爛漫の春採湖畔にて

(B車・D801)

春爛漫の春採湖畔にて

2017, 5, 25
春爛漫の春採湖畔にて

(A車・D701)

保線用モーターカー

2017, 5, 24
保線用モーターカー

春に包まれた日

2016, 5, 20
春に包まれた日

(B車・D801)

新緑の春採湖畔をゆく

2017, 7, 5
新緑の春採湖畔をゆく

(A車・DE601)

新緑の春採湖畔をゆく

2017, 7, 5
新緑の春採湖畔をゆく

(B車・D801)

紅葉の春採湖畔をゆく

2017, 10, 5
紅葉の春採湖畔をゆく

(B車・D801)

紅葉の春採湖畔をゆく

2009, 10, 28
紅葉の春採湖畔をゆく

白樺が紅葉していました。このD401はロッドのリズミカルな音が特徴です。

(B車・D401)

秋めく春採湖畔を行く

2011, 10, 18
秋めく春採湖畔を行く

穏やかに晴れた秋の春採湖を石炭列車が走って行きました。

(B車・D401)

晩秋の春採湖畔をゆく

2016, 10, 29
晩秋の春採湖畔をゆく

(A車・DE601)

淋しい秋の湖畔をゆく

2008, 10, 23
淋しい秋の湖畔をゆく

(B車・D401)

色づく落葉松並木

2014, 10, 31
色づく落葉松並木

(A車・DE601)

朝の落葉松並木をゆく

2014, 11, 1
朝の落葉松並木をゆく

(A車・DE601)

朝の落葉松並木をゆく

2014, 11, 1
朝の落葉松並木をゆく

(B車・D801)

初冬の春採湖をゆく

2018, 12, 8
初冬の春採湖をゆく

(A車・DE601)
(B車・D801)

湖畔の道~早春

2018, 3, 29
湖畔の道~早春

(A車・DE601)
(B車・D801)

湖畔の道~芽吹きの頃

2018, 5, 25
湖畔の道~芽吹きの頃

(A車・D701)
(B車・D801)

湖畔の道~芽吹きの頃

2018, 5, 25
湖畔の道~芽吹きの頃

(A車・D701)
(B車・D801)

ゆく秋

2015, 10, 9
ゆく秋

石炭列車は明るい直線の線路から、春採湖の岸に沿って左右にカーブしながら、植樹された好ましい雰囲気の林の中を進んで行きます。

春採湖はアイヌ語でハルトゥル(山向こうの地)、ハルトル(食草が多い沼)と呼ばれ、山深い自然豊かな所だったようですが、周囲は埋め立てられ、環境が悪化してしまいました。この荒れた春採湖の環境を回復させるため、春採湖を愛する市民団体が植樹をし、少しずつ緑が増えて来たそうです。

(B車・D401)

跨線橋(ひぶな橋)から

2016, 6, 10
跨線橋(ひぶな橋)から

ご夫婦で散歩されている方、ジョギングされている方、犬の散歩されている方、高校生、いろんな方々が通り過ぎる中、石炭列車が来ました。
石炭列車を撮影していると、「遠い所からご苦労さんです」と声をかけてくれる方がおられます。
釧路は寒い所ですが、人は温かいと思う瞬間です。

(A車・DE601)

跨線橋(ひぶな橋)を通過中

2009, 6, 24
跨線橋(ひぶな橋)を通過中

(A車・DE601)

去り行く石炭列車

2009, 6, 24
跨線橋(ひぶな橋)から、去り行く同じ石炭列車です。

こちらは後ろ側(春採側)です。編成の前と後ろに機関車が連結されておりますね。このような方式をプッシュプルと呼ぶそうです。
釧路の鉄道愛好団体「釧路臨港鉄道の会」様の方の話ですと、通常は先頭の機関車で編成を牽引し、後ろの機関車はノッチ2程度で走行しているだけだそうです。上り坂などパワーが必要なときは、警笛の合図で後ろの機関車の出力を上げる(手動)そうです。
臨港線ではこの他に編成を分割して石炭の積み下ろしを行うなど効率的な運用を行い、これらを含めてシャットル・トレーン方式(Shuttle Train)と呼んでいるようです。

編成の知人側の機関車をA車、春採側の機関車をB車と呼び、知人側(A車)はD401、DE601、D701、D801が付きます。春採側(B車)はD401、D701、D801が付きます。つまりDE601が知人側のみに付き、それ以外の機関車は知人側、春採側どちらにも付きます。
この臨港線を訪れる時は、どの機関車の組み合わせが走っているのか楽しみです。

今日のB車はD401ですね。

跨線橋(ひぶな橋)から

2016, 6, 10
跨線橋(ひぶな橋)から

(B車・D801)

跨線橋(ひぶな橋)から

2017, 7, 6
跨線橋(ひぶな橋)から

(A車・DE601)

今日のA車はD701です

2014, 7, 29
今日のA車はD701です。

(A車・D701)

跨線橋(ひぶな橋)を通過中

2014, 7, 29
跨線橋(ひぶな橋)を通過中

(A車・D701)

B車はD801です

2014, 7, 29
B車はD801です。

(B車・D801)

DE601

2016, 7, 4
DE601

(A車 ・DE601)

紅葉の並木をゆく

2014, 10,22
紅葉の並木をゆく

(A車 ・DE601)

保線用モーターカー

2016, 7, 4
保線用モーターカー

※「太平洋石炭販売輸送株式会社」は、令和元年(2019年)6月30日をもって鉄道事業を廃止したこと等もあり、令和2年(2020年)4月1日に商号を「新太平洋商事株式会社」と改めました。


太平洋石炭販売輸送臨港線・春採湖にて

Posted by でぇあぶつさん