太平洋石炭販売輸送臨港線・弁天ヶ浜から知人海岸へ

2021-04-22

釧路埼を回る石炭列車

2009, 5, 15
釧路埼を回る石炭列車

(A車・D701)
(B車・D401)

千代ノ浦をゆく石炭列車

2016, 3, 22
千代ノ浦をゆく石炭列車

(A車・D701)
(B車・D801)

霧の日、弁天ヶ浜にて

2014, 7, 30
霧の日、弁天ヶ浜にて

(B車・D801)

霧の日、弁天ヶ浜にて

2016, 8, 1
霧の日、弁天ヶ浜にて

(A車・D701)
(B車・D401)

霧の弁天ヶ浜をゆく

2009, 6, 22
霧の弁天ヶ浜をゆく

釧路は夏場に霧が良く発生しますが、そんな中を行く石炭列車は幻想的です。

弁天ヶ浜は昔、鬼呼(オニップ、オニオプ…アイヌ語で小川の口が詰まって、水を増し、急に破れるという意味)と呼ばれていました。その後、昭和7年の字地番改正で、今の弁天ヶ浜に命名されました。これは米町の厳島神社の祭神「市杵島(イチキシマ)姫命」の別名「弁天神」の名に因んで命名されたそうです。

また、大正12年に知人に築港が出来てから海岸の浸食が激しくなり、護岸堤防を設置したものの、ついに昭和46年の冬の台風で砂浜が完全に消滅したそうです。

(A車・DE601)

霧の弁天ヶ浜をゆく

2016, 8, 1
霧の弁天ヶ浜をゆく

(A車・D701)
(B車・D401)

弁天ヶ浜をゆく保線モーターカー

2016, 3, 22
弁天ヶ浜をゆく保線モーターカー

弁天ヶ浜をゆく石炭列車

2016, 3, 22
弁天ヶ浜をゆく石炭列車

(A車・D701)
(B車・D801)

ラストラン

2019, 3, 30
ラストラン

この日を以って臨港線は運休となるので、この列車が石炭を積んだ列車(運炭列車)の事実上のラストランです。

(A車・DE601)
(B車・D801)

ラストラン

2019, 3, 30
ラストラン

(A車・DE601)
(B車・D801)

ラストラン

2019, 3, 30
ラストラン

(A車・DE601)
(B車・D801)

米町踏切にて

2011, 10, 20
米町踏切にて

(B車・D401)

米町踏切にて~ハマナスの花の頃

2016, 7, 7
米町踏切にて~ハマナスの花の頃

(A車・DE601)

米町踏切にて~ハマナスの花の頃

2016, 7, 7
米町踏切にて~ハマナスの花の頃

(B車・D801)

霧の日、米町踏切を行く

2014, 7, 31
霧の日、米町踏切を行く

海から霧が流れ、とても良い雰囲気でした。

(B車・D801)

米町踏切にて

2014, 9, 19
米町踏切にて

(A車・DE601)

霧の釧路埼をゆく

2009, 6, 22
霧の釧路埼をゆく

深い霧の日でした。

(B車・D401)

冬の日、釧路埼をゆく

2011, 12, 13
冬の日、釧路埼をゆく

冬の日、本日の最後の石炭列車が春採へ走って行きました。

(B車・D801)

輝く車体

2011, 12, 15
輝く車体

冬の日を浴びながら走る石炭列車が、ひときわ輝きました。

(A車・DE601)

埼の断崖をゆく

2009, 12, 9
埼の断崖をゆく

知人の浜から続く“波消しブロック”を海に落ちないように慎重に飛び跳ねながら伝っていくと、埼の先端で“波消しブロック”は終わっていました。弁天ヶ浜は目前なのに、ここから先は太平洋が広がり、歩いて渡る事は出来ません。
臨港線のレールだけが唯一断崖の上に続きます。

そして釧路らしい灰色の空の下、石炭列車が来ました。雲間から突然冬の弱々しい陽光が射し、石炭列車と千代ノ浦の街を照らしました。

(A車・D701)

知人海岸にて

2011, 5, 31
知人海岸にて

埼の断崖を回り、まもなく知人駅(貯炭場高架桟橋)に到着します。あたりは知人海岸の砂浜が広がっています。

海が荒れた後の知人海岸は昆布がたくさんうちあがります。

寄せては返す波の音を聞きながら石炭列車を待つのも良いですね。
ここからの夕日はとてもきれいです。

(A車・DE601)

霧の日、釧路埼をゆく

2014, 7, 30
霧の日、釧路埼をゆく

(A車・D701)

霧の日、知人海岸にて

2014, 7, 30
霧の日、知人海岸にて

(A車・D701)

石炭列車が知人駅に入ります

2009, 6, 25
石炭列車が知人駅に入ります。

貯炭場の石炭の山が望めます。

(A車・DE601)

編成の途中から自動的(機関車からの遠隔操作)に分割

2009, 6, 25
編成の途中から自動的(機関車からの遠隔操作)に分割

徐行しながら6ユニット(12両)づつ自動的に2つの編成に切り離されます。

そして、切り離された知人側の6ユニット(12両)は、機関車(A車)に牽引されて知人駅(貯炭場高架桟橋)に入ります。

(A車・DE601)

春採側の6ユニットです

2009, 6, 25
春採側の6ユニットです

春採側の6ユニット(12両)は機関車(B車)に推進されて知人駅(貯炭場高架桟橋)に入ります。

(A車・DE601)
(B車・D401)

知人側の6ユニット(12両)は知人駅(貯炭場高架桟橋)に入りました。

2011, 3, 8
知人側の6ユニット(12両)は知人駅(貯炭場高架桟橋)に入りました。

海側の高架桟橋が1号桟橋(4番線)山側が2号桟橋(3番線)と呼ばれているそうです。

石炭を取り下ろし中です

2011, 3, 8
春採側の6ユニット(12両)も高架桟橋に入り、石炭を取り下ろし中です

両方の編成は石炭の排出を始めます。
石炭の排出は貯炭場の状況により、1ユニット(2両)ずつであったり一斉に取り下ろす事もあります。

昔はこの高架桟橋は木製でしたが、昭和14年7月にコンクリート製の1号高架桟橋(海側・4番線)、昭和17年4月に2号高架桟橋(山側・3番線)が完成しました。通称“石炭桟橋”と呼ばれているそうです。

臨港線はCTCの他、知人駅遠隔制御装置(R.C)が設置され、知人駅は駅員無配置となっております。また高架桟橋での荷役作業は釧路港運作業㈱によって行われております。

(A車・DE601)
(B車・D701)

石炭を取り下ろし(排出)中です

2011, 2, 19
石炭を取り下ろし(排出)中です

石炭の取り下ろしが終りました

2009, 6, 19
石炭の取り下ろしが終りました

再び連結し、春採に戻ります。
石炭の積み下ろし、貨車の連結作業には、臨港線の係員が必ず立会い、安全を確認しているようです。
係員は春採からこの石炭列車に乗り込んで来ているようです。

春採に戻ります

2009, 6, 19
春採に戻ります

切り離しから連結まで私が計ったところ7~8分でした。

(A車・DE601)
(B車・D401)

ブルトーザーで貯炭の山を築きます

2010, 9, 10
ブルトーザーで貯炭の山を築きます。

※「太平洋石炭販売輸送株式会社」は、令和元年(2019年)6月30日をもって鉄道事業を廃止されたこと等もあり、令和2年(2020年)4月1日に商号を「新太平洋商事株式会社」と改めました。


太平洋石炭販売輸送臨港線・弁天ヶ浜から知人海岸へ

Posted by でぇあぶつさん