西表島 ウタラ炭坑跡へ <石垣島2019,9,18-9,24>
グーグルマップを見ていて、西表島に炭坑跡があることがわかり、行ってみることに。
浦内川にあるらしい。
最寄りの港は西表島上原港。しかし安栄観光の西表島上原航路は本日欠航。その場合、大原港から安栄観光の「西表島西部地区送迎バス(無料)」で上原港および上原以西地区へいくことができます。
石垣港安栄観光のカウンターで、石垣~上原ゆきの乗船券を購入。購入の際、送迎バスのチケットをもらいます。
送迎バスの時刻表ももらっておいた方が便利です。
さて、海はやや時化て波の衝撃がドシンドシンと背骨に伝わってケツが痛い…漸く大原港。昨夜の泡盛がまだ体に残っていて、体調があまり良くないですが…下船したら安栄観光の送迎バスに乗車(ドライバーさんに送迎バスのチケットを渡し、送迎先を告げる)。
安栄観光さんの送迎バス
浦内川で送迎バスを降ります。
ウタラ炭鉱の案内図
浦内川クルーズ船乗り場を過ぎて、山道になります。
西表自然休養林(宇多良遊歩道)案内図」解説板
西表自然休養林(宇多良遊歩道)案内図
林野庁沖縄森林管理署
宇多良炭坑の概要
西表炭鉱は1886年(明治19年)から西表島西部を中心に採炭がはじまり、第二次大戦終了後も米軍統治下で数年採炭された長い歴史を持つ沖縄県内で唯一の炭坑である。宇多良は、明治・大正期の成屋や内離島のあと、1936年(昭和11年)に丸三炭坑宇多良鉱業所として開坑された昭和期の西表における代表的な炭坑である。炭坑はジャングルを切り開き、坑夫の宿舎や集会所、食堂、売店などが設置され、坑夫など数百人が昼夜分かたず働いていた。しかし、太平洋戦争がはじまり、1948年(昭和18年)ごろから石炭の輸送が困難となって、事業停止に追い込まれた。炭坑が日本の近代化に果たした功績を記念し、宇多良炭坑遺構も2007年に貴重な「日本近代化産業遺産群」のひとつとして認定された。
(資料提供 : 三木健氏 竹富町役場)
西表自然休養林(宇多良遊歩道)案内図」解説板
山道といっても森の中の散歩道のようで整備されています。
途中、船着き場があって、こんな風景が見られます。
約1キロ、20分程歩き、ウタラ炭坑跡(貯炭場跡)に到着。
国有林なので、多分、国が整備していると思いますが、立派な木道があります。
木道
「丸三炭坑宇多良鉱業所の全景」解説板
丸三炭坑宇多良鉱業所の全景
林野庁沖縄森林管理署
1935年(昭和10年)に宇多良で炭層が発見され翌年に丸三(まるみつ)炭坑によって宇多良鉱業所がジャングルを切り開いて建設された、2階建ての坑夫独身寮、一戸建ての夫婦宿舎、300人収容の集会所兼芝居小屋、医務室や売店など忽然と一つの炭坑村が出現した。
(略)
(資料提供 : 三木健氏 竹富町役場)
「貯炭場跡」解説板
宇多良坑の石炭埋蔵量は、480万トンと言われ、1938年(昭和13年)には、月産2500トンを産出していた。採掘された石炭は、坑口から引かれたトロッコに積まれ、この貯炭場まで運ばれた。山積みされた石炭は、宇多良川に横付けされたダルマ船に積まれ浦内川河口の本船まで運ばれた。積み込み作業は川岸に突き出したコンクリートの突堤から下のダルマ船に落とされた。
林野庁沖縄森林管理署
(略)
(資料提供 : 三木健氏 竹富町役場)
「炭坑の生活」解説板
炭坑の生活
林野庁沖縄森林管理署
炭坑での生活は、ほとんど炭坑村の中で営まれた。坑夫たちの多くは斡旋人の口車にのせられ、九州などの産炭地から来ていた。台湾北部の産炭地から台湾人坑夫も来ていた。中には沖縄(本島)や宮古島から来た人もいた。坑夫たちは、朝5時に起床、6時に坑内に入って採掘し、夕方6時に上がった。給料は炭坑独特の「炭坑切符」と呼ばれた金券で支払われ、炭坑直営の売店から米、酒、しょう油など日常物資を購入した。野菜などは地元の村人から購入していた。一帯はマラリア有病地のため常にマラリアとの戦いを余儀なくされた。
(資料提供 : 三木健氏 竹富町役場)
「炭坑労働の歴史」解説板
炭坑労働の歴史
林野庁沖縄森林管理署
西表炭坑の坑夫の労働は、明治初期に導入された納屋制度を基本としていた。同制度は坑夫から請け負った納屋頭が、坑夫の労働や生活を管理するというもので、特に暴力を伴う強制労働で「圧制炭坑」として坑夫たちから恐れられ逃亡が企てられた。しかし捕えられると厳しい拷問が待っていた。宇多良鉱業所では、こうした汚名を払拭すべく、近代的経営を目指したこともあったが、戦時下の増産体制の中で労働は強化され、再び「圧制炭坑」に戻った。犠牲になった坑夫たちの遺体が墓石もなく周辺に埋められた。また山中に逃げて道に迷い白骨となった坑夫もいた。
(資料提供 : 三木健氏 竹富町役場)
萬骨碑
トロッコの橋脚跡
トロッコの橋脚跡
トロッコの橋脚跡
トロッコの橋脚跡
植物の根が巻き付いたトロッコの橋脚が、何か異次元の世界にいるような感じでした。
散乱したビール瓶
また、散乱した空のビール瓶に、人々の生活の痕跡を感じることができます。
トロッコの橋脚跡
鬱蒼とした熱帯雨林の中、炭鉱跡も森にのまれていく感じ。うるさいばかりの蝉の鳴き声が響き渡っているだけでした。
浦内川まで戻り、クルーズ船に乗ろうかと思ったんですが、二日酔いがまだ抜けず、今回はパスして、送迎バスを待ちます。
帰りは、上原~石垣間の乗船券を送迎バスのドライバーさんに提示して乗車し、大原まで戻り石垣ゆきの船に乗ります。
安栄観光の送迎バスにつきましては、安栄観光様にお問い合わせください。
◇
夜は焼き鳥「八百屋」さんで飲みました。ボリュームある焼き鳥盛り合わせで生ビールが進みます。地元の常連さんなどで賑わっていました。地元の方の話しでは、台風は石垣島をかすめる位だろう…と。雲がかかるかどうか。
生ビール
島豆腐
焼き鳥盛合せ(もも、かわ、砂肝、ハツ)
長いもザクザク
◇
〆は「なかよし食堂」さんで、"八重山そば"。市役所からやや歩きます。
八重山そば
八重山そばは3秒で出てくると言ううわさ👂️通り、30秒位で出てきました。太めの黄色い麺、つゆは…魚介、豚骨の程よいだし、醤油の風味もありバランス良い。八重山そばにしてはやや濃いめな味かな。"大"で、ボリュームありましたが、なんと500円。安~い。
今日も石垣島の夜を味わいました。
風はあるものの、雨は降らず、明日以降はどうなるか。