釧路ユースの想い出
私が20代の頃、国鉄の「北海道周遊券」を使って、国鉄で北海道を旅する若者が多かったです。(国鉄とは現在のJRです。)
この周遊券は、東京からだと20日間有効、北海道までは急行、普通列車の普通車自由席、青函連絡船の普通船室自由席、そして北海道内は特急、急行、普通列車の普通車自由席が利用できました。
道内時刻表
とらべるまんの北海道
ネットの無い時代でしたから、鉄道での北海道旅行には、カメラの他に、「道内時刻表」そして「とらべるまんの北海道」という、ややマニアックな北海道の情報誌が必携でした。
宿はユースホステルと言われる、男女別の相部屋の宿で、夜のミーティングなどで旅の情報交換をしておりました。
1986, 6, 11
特急おおぞら
札幌駅にて
当時の札幌駅は地上駅でした(現在は高架駅)。連絡通路は地下にありました。駅舎は現在の釧路駅のようなレンガ色のタイル張りでした。
そんな訳で、ある年の初夏に北海道を国鉄で旅するべく、本州内の国鉄は普通列車乗り継ぎ、青森から夜行便の青函連絡船を使って北海道に渡り、函館から「特急北海1号」で札幌、市立ライオンズユースに泊まり、札幌から「特急おおぞら」で釧路に向かいます。
この頃の「特急おおぞら」は、ヨーロピアンスタイルの斬新な顔つきで、さすが北海道だなぁ…と思いました。
“電車”ではない特急…ディーゼル特急というのも私にとっては珍しかった。
当時、国鉄の列車はダイヤ通り、正確に運行されていたと思います。
石勝高原を抜けて、広大な十勝の畜産試験場や、十勝川、太平洋の荒波…そんな風景をながめつつ釧路に到着。
釧路では、春採湖の畔にあった市立の釧路ユースホステルを利用しました。(現在はありません)
ペアレントのTさんは、釧路湿原をとても愛し、また中島みゆきさんのアマチュア時代(帯広)からの大ファン。
夜のミーティングは、釧路湿原の楽しみ方。
鳥取橋から温根内までの15kmを歩く事を進められましたが、ひ弱な私はとても無理で、当時はあまり知られていない「湿原大観望」へ行くことにしました。
この「湿原大観望」は、現在の「細岡展望台」。
当時は「釧路湿原駅」は無く、「細岡駅」からダートの道を2.5km歩かなければなりません。
この「湿原大観望」は、「とらべるまんの北海道」には載っていないので、とてもマニアックな場所だと思いました。
そして、夜のミーティングの後は「みゆきタイム」
電灯を消してランプを灯し、「中島みゆき」さんの曲を聴きます。
これが曲にとても合って、なかなか独特な雰囲気です。
「くしろ湿原横断つあー&鶴見台」のパンフ
いつでも泊まれるあなたの宿「釧路ユースホステル」
ホステルのスタンプ
さて、細岡に行くには釧路11時32分発川湯/根室標津行きの列車で、まだ時間があるので、釧路ユースから釧路駅まで歩いていく事にしました。
ペアレントさんから、春採湖の臨港鉄道の写真は必ず撮るようにと言われたので、バシャ。
1986, 6, 12
春採湖畔の貯炭場と釧路臨港鉄道
現在のひぶな坂の下あたりですが、当時は貯炭場でした。
そして、この石炭列車はシャットルトレーンではないので、この春採湖の貯炭場に石炭を運んでいたのですね。
当時は知りませんでしたが、今見てびっくりです。
1986, 6 ,12
春採湖遊歩道
春採湖遊歩道を歩き、どのような道を歩いたか覚えていませんが、厳島神社に参拝し…
1986, 6, 12
花時計
南大通を歩いてロータリー
ロータリーにはオンコの木は無くて、当時は花壇でした。
1986, 6, 12
幣舞橋「春の像」
幣舞橋には4体の若き女性の裸像が飾られていましたが、当時は私も若き男性のためカメラを向けるのもおこがましくて…、なんとか穏やかな春の像だけ写真に収めました。
当時は道東経済センターやMOOは無くて、すっきりとした街並みでした。
釧路11時32分の川湯/根室標津行きの普通列車で細岡へ
1986, 6, 12
細岡駅
とっても趣のある駅でした。
1986, 6, 12
細岡駅からダートの道を歩いて行きます。
これは振り返った写真。
1986, 6, 12
急行しれとこ1号
途中の踏切で撮影
1986, 6, 12
湿原大観望
細岡駅から40分程歩いて「湿原大観望」に到着。
緑色に広がる釧路湿原、ゆるやかにカーブする釧路川が光る。
カッコウの鳴き声、オオジシギの急降する風切り音、そして時折エゾシカの鳴き声がこだまする。
…だれもいない…
風の音と…静かだ。
今は「釧路湿原駅」ができて、一大観光地となってしまった。
でも、静かだった「湿原大観望」の時代に訪れる事ができたのが、とても良い想い出です。
釧路ユースの想い出