フルスト原遺跡へ <石垣島2022,4,20-4,25>
グーグルマップを見ていて、大浜のフルスト原遺跡下に最近駐車場が出来て、その近くに「戦争壕(旧日本海軍壕)」があるとの情報なので行ってみる事に。フルスト原遺跡は以前、迷いながら行った事があります。
バスターミナルから東運輸空港線で大浜下車。
大浜バス停
遺跡下の畑に沿った道を歩いて駐車場。今回はグーグルマップを見ながらなので迷う事は無し。駐車場の近くに戦争壕がぽっかりと口を開けていました。危ないので入らず。
フルスト原遺跡 石柱
旧日本海軍戦争壕(弾薬庫跡)
また、駐車場の反対側に昔の井戸(宇根井戸)が残されています。
宇根井戸(ウーニンガー)
井戸には神が宿ると信じられていて、古い井戸でも埋めずにそのままにしておくことが多いという。
さて、せっかくなので、フルスト原遺跡へ行ってみます。駐車場から畑の道を歩き、道路に出て少し上るとフルスト原遺跡への道があります。
フルスト原遺跡入口
遺跡への道
鬱蒼とした木々の中の道を歩き、フルスト原遺跡に着きます。フルスト原遺跡は14世紀~15世紀頃の住居跡。サンゴを積んだ壁で囲まれています。一説には大浜の英雄「オヤケアカハチ」の城跡とも言われています。
フルスト原遺跡
フルスト原遺跡
フルスト原遺跡
フルスト原遺跡
フルスト原遺跡
フルスト原遺跡
大浜に戻りオヤケアカハチ像や津波大石、大浜海岸等を散歩。大浜も以前行った事があります。大浜海岸に海軍の銃眼があるらしいのですが、見つけることはできませんでした。
大浜の「オヤケアカハチ像」
1300年代より八重山は琉球王府に毎年年貢を収めていましたが、住民たちにはその負担は大きく、オヤケアカハチは反旗を翻し3年間年貢を拒否、また八重山の他の地域を治めるものたちを攻撃し八重山全体を支配、さらに宮古島まで支配の手を伸ばすべく行動を起こし八重山統一を目指すも、ついに1500年琉球王府軍に討たれたと言われています。(アカハチの乱)
琉球王府に反旗を翻し島民解放に戦った"オヤケアカハチ"は、大浜はもとより八重山の英雄として言い伝えられています。
津波大石
サンタンカ(アカネ科)
植栽
ブーゲンビリア(オシロイバナ科)
園芸植物、植栽
ニトベギク(キク科)
帰化植物
テイキンザクラ(トウダイグサ科)
植栽
コダチアサガオ(ヒルガオ科)
帰化植物
コロマンソウ(キツネノマゴ科)
植栽
大浜海岸
モエギエランサムモドキ(キツネノマゴ科)
植栽
神の井戸(カンヌカー)
崎原御嶽の鉄製農具の伝来の伝説に登場する兄弟が使っていたと言われている井戸。また古謡にも謡われているそうです。
井戸には神が宿ると信じられていて、現在でも埋められる事はなく各地に残っているという。
大浜小学校
卒業記念のペイントが沖縄らしいですね。
曇りですが、暑さでバテてしまい、昼過ぎにバスでホテルに戻りました。
夕方、晴れて、終日曇りの天気予報は外れです。
軽く「味処 岩」さんでおそばを頂きました。
岩そば
豚肉や野菜炒めの入ったタンメンのようなそばです。
ご主人や女将さんは温かい感じの方で、お店は地元のご常連さんが多い感じです。
夜は今日も民謡ライヴ居酒屋「よるど~や」さんで飲みました。
飲み放題のお通し、生ビール
ラフテーの五目煮
乾きもの
シャコガイの肝
ハイボール
うむくじ天ぷら(紅芋)
今日はお客さんはしまんちゅの方々も多く、また今日のステージもとても盛り上がりました。お店の方も、ご常連の方々も話しかけてくれてとても親しみやすいお店です。今日も石垣島の夜を楽しみました。
「島人ぬ宝(しまんちゅぬたから)」良い曲だ。しまんちゅの物凄い郷土愛を感じます。でも「ヤマトンチュ(本土・本州の人)」はどうなのかねぇ?
今日覚えた言葉、「ちゃーびらさい」沖縄本島の言葉、挨拶(ご機嫌いかがですか)。「かめかめ」、どんどん食べなさい、もてなす言葉。