西表島、由布島 <石垣島2019,9,18-9,24>
石垣島から安栄観光さんの「由布島フリープラン(日帰り・西表島大原港往復乗船券、西表島交通フリーキップ、由布島入場券、水牛車付き)」があって、9月末日までの特別価格5,000円と格安なので、利用してみました。
8時の西表島大原ゆき、大原港には8時50分。西表島交通の路線バスの発車時刻ですが、待っててくれてます。
20分程で由布島の水牛車乗り場。水牛車は10時発。由布島も三度目か…。いつもながら若いカップル💓😍💓さん、若い女性さんが多く、やや気がひけますが…。
由布島水牛車乗り場
由布島水牛車
由布島
由布島の水牛車
由布島の水牛車
“美人水牛”と記念写真(有料)があるのですが、前回買ったので今回は買わず。
牛とおじさん一人の写真買ってもつまらない。
さて、由布島は島全体が熱帯植物園、きれいに整備されています。
蝶々園へ。
オオゴマダラ(日本最大級の蝶)
オオゴマダラと蛹(黄金の蛹)
幼虫は毒草(キョウチクトウ科のホウライカガミなどアルカロイドを含む植物)を食べるので、幼虫や蛹、成虫にも毒があるという。
アサギマダラ
サンタンカ(アカネ科)
ブーゲンビリア(オシロイバナ科)
チリメンナガボソウ(クマツヅラ科)
ランタナ(クマツヅラ科)
ハイビスカス(アオイ科)
ナリヤラン(ラン科)
日本では主に八重山に自生する蘭です。これは植栽品。
アリアケカズラ(キョウチクトウ科)
ピンクジンジャー (ショウガ科)
島とうがらし(ナス科)
モモタマナ (シクンシ科)
俗称「コテバシイ」
由布島小学校跡
井戸の跡
バナナ
マンタの浜への道
ブーゲンビリアガーデンへ
ファレノプシス(ラン科)
ブーゲンビリア(オシロイバナ科)
ブーゲンビリア(オシロイバナ科)
ウツボカズラ(ウツボカズラ科)
ブーゲンビリア(八重咲き)
ブーゲンビリア(八重咲き)
デュランタ(クマツヅラ科)
ガジュマル
水牛車
水牛🐮
水牛車
西表島交通「由布島水牛車乗場」バス停
西表島交通の路線バス
路線バスの時間を考えながら散歩し、再び水牛車で戻り、路線バスで大原を過ぎて豊原。
ここから歩いて1時間程で「忘勿石」。木道が整備されているので、簡単に浜に降りられます。
豊原「日本最南端のバス停」
ギンネム
忘勿石入口
忘勿石は所謂「戦争マラリア」に関わりのある場所。石碑と、すぐ横に「忘勿石(わするないし)」があります。
忘勿石の碑
「忘勿石之碑建立のあらまし」解説板
忘勿石之碑建立のあらまし
忘勿石之碑建立事業期成会
波照間公民館始め関東、関西、沖縄本島、石垣、西表島の各波照間郷友会、識名信升先生のご家族及び、縁故者、知人、友人、退職教員、八重山郡内外の各学校、多数の諸社、諸機関の人々の平和を愛する尊い厚意ある御芳志に依って全世界人類の恒久平和を願い、愚かな戦争の為、亡くなった数多くのマラリア犠牲者の精霊供養と遥か波照間島を望む識名先生の遺徳を偲び建立したものである。
「忘勿石の碑」解説板
忘勿石の碑
一九九二年八月
この一帯は歴史的な戦争マラリアの悲劇の霊境である 一九四五年四月 波照間の住民が軍命によってこの地に強制疎開させられ多くの人々が熱帯マラリアに罹患して 古里の島影を求めながら亡くなった
その人々の苦悩はまことに筆舌に尽くしがたいものがある 学童とともに疎開し その学童たちの死を見守りながら 浜辺の岩に「忘勿石」と刻んだ識名信升先生の心情は察するに余りある
この碑が歴史を語り継ぎ 病没した人々の霊を慰め 平和創造への礎となることを祈り願う
琉球大学名誉教授
高良鉄史
「忘勿石」
識名校長が万感の思いを込めて石に鉄剣で刻んだ「忘勿石 ハテルマ シキナ」
◇
更に歩いて「南風見田」の浜。ここまで豊原から歩いて1時間半位。
「ヤマネコ発見の地」碑がありました。
「ヤマネコ発見の地」碑 解説板
イリオモテヤマネコの新種登録のための骨格標本(パラタイプ標本)となったイリオモテヤマネコが捕らえられた経緯などが書かれています。
南風見田の浜
南風見田の浜
戦時中、旧日本軍の命令によって、波照間島の人々などが強制疎開させられた場所。
波照間島はマラリア無病地域であったが、ここ西表島南風見田はマラリア有病地域であった。
いわゆる“戦争マラリア”の悲劇の場所。
やぎさん…です。
あまり時間が無いので、早々引き返して豊原、なんとか15時45分の路線バスに間に合い、大原港16時半の船で石垣島です。
◇
夜は、「めし屋 つるかめ」さんで、飲みました。刺身や八重山料理が安く食べられました。残念な事に生ビールはオリオンでは無くサッポロでした。
お通し、生ビール
お通し
海ぶどう
豆腐蓉
刺身盛合せ
からそば(味噌味)
今日も石垣島の夜を味わいました。