釧路散歩 – 夕日 –

2024-11-17

釧路はインドネシアのバリ島、フィリピンのマニラと並び、世界を旅する船乗り達から世界三大夕日の街と言われております。
港に落ちる夕日が美しく感動するからです。

そんな夕日の街を歩いてみました。 

2013, 5, 16
釧路川河口の夕日
日が傾き始めました。港街の夕日はなかなか素敵だと思います。

2009, 1, 28
幣舞橋からの夕日とMOO
いつも静かな夕日です。

2013, 2, 9
輝く釧路川
黒い雪雲の隙間から、夕日が輝きます。

2009, 1, 28
MOO
MOOが夕日に輝きます。

2011, 10, 19
幣舞橋からの夕日

2013, 10, 19
幣舞橋からの夕日

2015, 11, 4
埠頭に落ちる夕日

2013, 10, 19
コスモスと釧路川の夕日

2013, 10, 19
コスモスと釧路川の夕日

2023, 1, 7
釧路川の夕

2023, 1, 7
EGGからの夕日

2023, 1, 7
EGGと夕日

2024, 11, 8
MOO岸壁にて

2022, 11, 14
幣舞橋と「Cool KUSHIRO」

2009, 10, 27
ラビスタ釧路川から望む夕日

2014, 12, 17
釧路プリンスホテルより冬の夕日
灰色の雲間から、突然夕日が輝きました。

2014, 12, 17
夕日に照らされた街
釧路プリンスホテル客室より。

2010, 11, 10
MOOから望む釧路川河口の夕日

2010, 11, 7
幣舞橋、道東の四季「冬」の像、「春」の像の間に落ちる夕日

2015, 11, 4
幣舞橋の夕日~冬の像と春の像

2011, 3, 7
夕日と幣舞橋「夏の像」と「秋の像」です。
午後5時を告げる「恋はみずいろ」のチャイムが釧路の街中に響き渡り、夕日が幣舞橋に沈んで行きます。

2011, 3, 8
夕日と路線バス
夕日の中、路線バスが幣舞橋を渡っていきました。

2012, 2, 13
幣舞橋の夕日

2016, 10, 29
夕日を眺める人々

2024, 2, 29
「春の像」

2024, 2, 29
「夏の像」

2024, 2, 29
夕日と欄干

2014, 9, 18
釧路川の夕日

2012, 10, 16
幣舞橋からの夕日

2012, 10, 16
夕日の中の春の像とMOO

2013, 10, 29
夕日と春の像

2024, 1, 12
夕日を抱いて

2014, 9, 18
夕日と夏の像

2014, 11, 1
幣舞橋~色づく夕空

2016, 3, 22
幣舞橋の夕

2014, 9, 18
釧路川河口に落ちる夕日

2013, 3, 8
夕日に佇む春の像 

2023, 2, 17
釧路川の夕日

2012, 2, 12
凍てつく河畔の夕日

2024, 6, 7
釧路港の夕日

2010, 11 , 7
久寿里橋からの夕日

2012, 10, 27
久寿里橋からの夕日

2015, 12, 12
旭橋からの夕日

2011, 12, 17
心に沁みる釧路港の夕日。

2024, 1, 12
河口の落ちる夕日

2024, 1, 12
幸町緑地の夕日


2012, 2, 12
こんな、心に沁みる釧路の夕日を見た夜は、釧路の居酒屋で「くしろ夕日ハイボール」が良いですね…。甘くせつない味です。
「くしろ夕日ハイボール」はお酒です。


2011, 2, 27
夕日と釧路の街並み
夕日が釧路のピル群に沈んで行きます。

2009, 6, 23
夕日に輝く港
まなぼっと幣舞から。

2009, 5, 18
米町公園にて

小説家 林芙美子さんの摩周湖紀行より

小説家 林芙美子さんの摩周湖紀行より

六月十六日。
 北海道へ渡つて久しぶりに青い伸々とした空を見た。伊藤氏に電話して朝食をとる。土地へ行けばその土地の事を少しばかりくはしく聞いておかなければならないので、私は根室への列車の中で作つた私の旅のスケヂユールと地圖を擴げて用意をしておく。
 伊藤周吉氏はなかなかいゝひとであつた。
 お遇ひするが早いか、とにかく此宿屋を出ようではありせんか、こゝへ來たら「角大」と云ふ啄木の唄に出て來る女のひとの營むでゐる宿屋がありますと云つて、自動車を頼むでこられた。旅先きで貰つた紹介状ではあつたが、旅の情と云ふものは仲々身に沁みるものがある。
 山形屋の拂ひを濟ませて道路へ出ると、宿の前がさいはての驛であつた。山形屋へ泊つたこともいゝではありませんかと、いまは肥料倉庫のやうなさいはての舊驛を眼前にして、私は啄木の唄をまるで自らの唄のやうにくちずさんでゐた。
「さいはての驛に降り立ち雪あかり、淋しき町に歩ゆみ入りにき」さいはての驛の前は道が泥々してゐて、雪の頃のすがれたやうな風景を眼の裏に思ひ出す事もできた。

 啄木の唄つた女のひとは昔小奴と云つたが、いまは近江じんさんと云つて、角大と云ふ宿屋を營なんでゐた。新しくて大きい旅館で、舊市街と新市街の間のやうなところにあつた。おじんさんは四十五歳だと云つてゐた。小奴と云ふ女のひとを現在眼の前にすると、啄木もそんなに老けてはゐない年頃だつたと思ふ。生きてゐたら、たしか五十歳位ででもあらう。誰でもひとゝほりは聞くであらう啄木との情話よりも、啄木が優しい人であつたと云ふ、何でもない挿話を、私は大事にきいた。おじんさんは大柄で骨ばつた人であつたが、世の常の宿屋の主のやうにぎすぎすしたところがなかつた。美しい娘さんの寫眞を持つて來て、亡くなつてしまつたのだと嘆いてゐたけれど、誰でもが聞くだらう啄木の思ひ出話よりも、娘の話をするおじんさんは、何となく私には好ましかつた。
 私は此宿屋で、釧路の町の色々な人達に遇つた。先住民族遺跡を研究してゐる吉田仁磨と云ふひとや、野尻と云ふ歌よみの人や、その他にも藤井と云ふ婦人記者の人なぞ、さうして樣々な町の歴史を此熱心な人達から聞いたのであつたが、雜記帳を持つて筆記をして歩くやうな氣持ちになる事を恐れ、私は一人で此地方の湖めぐりをしようと思ひたつた。晝飯をおじんさんに馳走になり、早々旅館を辭して、阿寒あかん地帶の中の一番氣むづかしい湖へコースをとつた。

釧路の町は快晴で、天氣がいゝのか霧笛も鳴つてゐない。
 途中、啄木が勤めてゐたと云ふ釧路新聞社の前をとほつた。赤いレンガ建で、明治四十年頃の建物として相當新らしかつたのであらうが、いまは古色蒼然としてしまつて、何となくおさなびてゐてよかつた。
 霧笛を鳴らしてゐる知人岬と云ふ所にも行つてみた。岬の丘に登ると、太平洋炭鑛埋立地が南の防波堤に續き、まるで海を二ツに切つたやうに見える。樺太からふとでオホーツクの灰色の海ばかり見てゐた私には、釧路の海はるり色に光つてゐて天氣のいゝせいか一望にして港の中が眼にはいつて來る。
 朱い煙突を持つた浚渫船が起重機から泥を吐きながら、まるで大雨のやうな音をたてゝ動いてゐた。内地の風景と違つてどこかに底冷たさがある。
 港には船が澤山はいつてゐた。厚岸あつけしの海では海軍の演習があると云ふので此釧路の海も賑ふだらうと人々が話しあつてゐた。

林芙美子著 摩周湖紀行 -北海道の旅より-

林芙美子著 摩周湖紀行 -北海道の旅より-
「青空文庫」様のファイルを引用させて頂きました。

林芙美子著 摩周湖紀行 -北海道の旅より-

「青空文庫」様のファイルを引用させて頂きました。

2009, 12, 4
米町公園から夕暮れの釧路の街

初冬のある日、街なみがほんのり紅色に染まりました。
石川啄木も、ここ米町公園の高台から夕暮れの街を眺めていたのでしょうか。

2014, 2, 24
夕日に続く線路

太平洋石炭販売輸送臨港線、沼尻踏切にて

2016, 1, 8
千代ノ浦の夕日

2011, 12, 15
釧路埼の昆布干場の夕日

臨港線が釧路埼を回るところ、崖下の線路に沿って昆布干場があります。
電線は釧路コールマインの電力線と思われます。

2014, 2, 24
知人海岸の夕日…恋はみずいろ

この日の日の入りは午後5時。
午後5時を告げる「恋はみずいろ」のチャイムと共に、美しき夕日が知人海岸に沈んで行きました。 

2023, 12, 8
知人の夕日
手前の構造物は太平洋石炭販売輸送の知人駅高架桟橋(石炭桟橋)です。

2011, 2, 28
選炭工場の夕日
撤去されずに残った坑外軌道のループ橋が、不思議な雰囲気をかもしだしています。

2015, 12, 7
夕日の千代ノ浦の街

手前が春採湖、街並みは千代ノ浦、夕日は太平洋に沈んでいきます。

2011, 12, 2
夕日の千代ノ浦と春採湖

2012, 12, 12
夕日の中で

2011, 12, 1
日高山脈に落ちる夕日

天気が良いと、日高山脈が望めます。


釧路散歩 – 夕日 –

Posted by でぇあぶつさん