十勝の戦跡
掩体壕
帯広の掩体壕
帯広に、太平洋戦争中に作られた掩体壕(えんたいごう)という戦闘機を格納する倉庫があるという事を以前「十勝毎日新聞」の記事で知りました。
興味を持ち、訪ねてみました。
帯広駅から十勝バスの大空団地行きで「団地入口」下車。帯広の森にある「はぐくーむ」という施設から北に続く散策路に掩体壕があります。
2013, 5, 7
帯広の掩体壕
何かコンクリートの構築物が、森の中に見えてきました。
2013, 5, 7
帯広の掩体壕
反対側に回ってみると…
掩体壕の全貌が見えました。無蓋掩体壕と思われます。
2013, 5, 7
帯広の掩体壕
凸型のコンクリートの構築物です。
2013, 5, 7
掩体壕 (えんたいごう)の解説板
掩体壕 (えんたいごう)
解説板より
このコンクリートの壁は、第二次世界大戦中に建築された、戦闘機を敵から隠すための倉庫で「掩体壕」といいます。全国各地には、大きさや形がさまざまな掩体壕が残っていますが、この掩体壕は戦闘機1機を隠すために作られたものです。当時、この近辺には同型の掩体壕が全部で46基、それとは別に大きな掩体壕が7基、現在の十勝飛行場を囲むように南東に存在しており、それぞれの戦闘機が誘導路を通って飛行場内の滑走路から飛び立って行きました。
現在、この帯広の森の中で確認できる掩体壕はこの1基のみです。
解説文より
トーチカ
十勝の海岸に多数のトーチカが残されています。
トーチカは太平洋戦争末期、旧日本軍が米軍の上陸に備えてコンクリートなどで急遽造った防衛陣地で、網走、根室、釧路、十勝などのおもに海岸、海岸を見下ろす高台などに残っています。
十勝毎日新聞にトーチカの築城方法が記載されていました。
材料 : セメント、玉砂利、砂
参考 : 十勝毎日新聞 2003年 (平成15年) 6月27日 トーチカ 戦跡の現状と保存運動 <3>
基礎造り : 地下に四角形で深さ1メートルの穴を掘り、コンクリートを流し込む。
側面 : 基礎を自然乾燥した後(夏で3日)、その上に木の枠を組み、コンクリートを流し込んで、側面を造る。
最後に上部の蓋を造る。
銃眼が見えるように土をかぶせ、草を植えて隠す。
1つのトーチカは1週間以内で完成させた。
大樹町旭浜のトーチカ
訪れやすい大樹町の旭浜にあるトーチカに行ってみる事にしました。
帯広駅から十勝バスで「大樹コスモール前」(道の駅コスモール大樹 )で降りて、タクシーで旭浜に向かいます。
タクシーのドライバーさんの方の話では、「私は小さい頃に行ったことがあるけれど、だいぶ砂に埋もれていましたよ。まだあるかなぁ…。また海岸は季節には釣り人がよく訪れますよ。」という話でした。
2012, 11, 12
旭浜のトーチカ
旭浜の海岸には8基のトーチカが確認されています。旭浜漁港から一番遠いトーチカから歩いてみます。
今日は平日でさらに冷たい雨が降り、海岸には誰もいません。
海が荒れた後でしょうか、海岸には流木が多数流れ着いていました。
2012, 11, 12
旭浜のトーチカ
漁港から一番遠いトーチカです。(1基目)
2012, 11, 12
旭浜のトーチカ
陸側(左側)の砂浜に、コンクリートを流した跡があるトーチカ。(2基目)
2012, 11, 12
旭浜のトーチカ
2基目のトーチカの銃眼です。
2012, 11, 12
旭浜のトーチカ
2基目のトーチカです。
2012, 11, 12
旭浜のトーチカ
半分近く砂に埋もれているものもあります。(3基目、4基目)
3基目のトーチカは、銃眼も入口も砂に埋もれていました。
2012, 11, 12
旭浜のトーチカ
寄せる白波と砂に埋もれたトーチカ、なかなか雰囲気が良いです。(3基目)
2012, 11, 12
旭浜のトーチカ(4基目)
2012, 11, 12
旭浜のトーチカ(5基目)
2012, 11, 12
旭浜のトーチカ
海岸に並んでいるのが分かります。手前は5基目のトーチカ。2基目のトーチカまで並んで見えます。
2012, 11, 12
旭浜のトーチカ
波がやや荒いです。4基目から2基目まで見えます。
2012, 11, 12
旭浜のトーチカ(6基目)
テトラポットの間をしばらく歩いていくと6基目のトーチカがありました。
2012, 11, 12
旭浜のトーチカ
6基目のトーチカです。
2012, 11, 12
旭浜のトーチカ
6基目のトーチカの銃眼を良く見ると…
2012, 11, 12
旭浜のトーチカ
6基目のトーチカの銃眼には、木の枠が残っています。
2012, 11, 12
旭浜のトーチカ(7基目)
7基目のトーチカ
入口が欠けています。
2012, 11, 12
旭浜のトーチカ(8基目)
旭浜漁港に一番近い8基目のトーチカです。
堤防と一体化していますね…。
さらにもう1基、少し内陸部の町有地に、町が公開しているトーチカにも訪れました。
2012, 11, 12
旭浜のトーチカ
解説板より
「トーチカ」とは、ロシア語で「点・地点」の意味で、軍事的には重要な地点を守るためコンクリートなどで固めて造った小型の防衛用陣地である。大樹、広尾、浦幌など太平洋沿岸にあるトーチカは太平洋戦争末期の昭和19年(1944年)5月、第7師団(通称熊部隊)の「沿岸築城整備要領」に基づき第31警備隊及び第32警備隊が、米軍の本土上陸に備えて構築に着手し同年12月までに数多くのトーチカを作ったものである。資材は現地調達で施工は困難を極めたが使用することはなく、昭和20年8月終戦となった。大樹町のトーチカは水際と内陸部に造られ、コンクリート製の15基が確認されている。このトーチカは内陸に造られたものの1基で平成20年(2008年)町有林の伐採作業中に土に埋まった状態で発見された。
大樹町教育委員会
解説板より
2012, 11, 12
旭浜のトーチカ
以上、大樹町の9基のトーチカを訪れてみました。
豊似川河口から旭浜漁港のトーチカ
今回は豊似川河口から旭浜漁港方面にかけてのトーチカを訪れてみました。
前回同様、帯広駅から十勝バスで「大樹コスモール前」(道の駅コスモール大樹 )で降りて、今度はタクシーで豊似川河口に向かいます。
道道から林道に入って河口近くでタクシーを降ります。ここは崖の上で、トーチカが建っています。
2013, 5, 9
林道際のトーチカ
林道の際にトーチカがありました。
豊似川河口から3基目のトーチカです。
今にも崩れ落ちそうです。
ここでタクシーを降ります。
2013, 5, 9
林道際のトーチカ
林道の際に建っています。
ゴミが多いですが…。
2013, 5, 9
豊似川河口のトーチカ
林道から望む十勝の山々、海岸には豊似川河口の2基のトーチカが望めます。
2013, 5, 9
豊似川河口のトーチカ
1基目
豊似川河口の砂に埋もれたトーチカです。
ここから旭浜漁港方面に歩いていきます。
2013, 5, 9
豊似川河口から2基目のトーチカ
こちらは銃眼です。
2013, 5, 9
河口から2基目のトーチカの銃眼です。銃眼を作ったと思われる木枠(板)がまだ残っています。
2013, 5, 9
河口から2基目
こちらは入口です。
2013, 5, 9
河口から2基目
鉄芯ではなくて木が補強材として使われています。
2013, 5, 9
林道の際のトーチカ
河口から3基目。
先ほどのタクシーを降りた林道のところのトーチカ。
今にも崩れ落ちそうで、近寄るのも怖い感じです。
2013, 5, 9
林道の際のトーチカ
河口から3基目
建築の時に使ったと思われる丸太が埋められているようです。
しかし、周囲がボロボロと崩れていく感じです。
2013, 5, 9
河口から4基目
テトラポットのある海岸を歩いていくと、崖の上のもう一つあります。河口から4基目
2013, 5, 9
河口から4基目
トーチカの周囲には丸太が、上には大木が埋められています。
この付近は断崖が迫っております。
2013, 5, 9
テトラポットを抜けると2基のトーチカが望めます
2013, 5, 9
さかさまのトーチカ
さかさまのトーチカがありました。
豊似川河口から5基目
崖の上から落ちたのでしょうか。
こちらは銃眼。
2013, 5, 9
さかさまのトーチカの入口
2013, 5, 9
豊似川河口から6基目のトーチカ(小紋別海岸のトーチカ)
さかさまのトーチカから遥か彼方にもう1基トーチカが望め、延々歩き続け、に到着しました。旭浜漁港にだいぶ近づいています。
歩き始めた豊似川河口から6基目のトーチカ。豊似川河口から一番遠いトーチカ。
このトーチカは「小紋別海岸のトーチカ」と呼ばれているようです。
2013, 5, 9
豊似川河口から6基目のトーチカ
(小紋別海岸のトーチカ)
反対側から。こちらは銃眼。
豊似川河口から小紋別海岸のトーチカまで、歩いて片道約2時間程かかり、合計6基のトーチカを見る事ができました。
危険な場所もありますので、訪問は自己責任で
広尾航空機不時着場跡
先ほどの“林道の際のトーチカ”から道道まで、林道を30分程歩きます(戻ります)。この林道入口に「史跡 広尾航空機不時着場跡」という案内柱がありました。
2013, 5, 9
史跡 広尾航空機不時着場跡
この案内柱には…
「昭和初期に航空機の急速な進歩発達により、旧日本海軍は、航空機基地整備に全力を投入する。昭和5年大湊(樺山)に、同8年根室に不時着場が完成し、同9年ここ広尾飛行場が敷地240町歩、整備敷地85町歩で、北東から南西へと北西から南東への、それぞれ千メートルの滑走路が三角形を形作っていて、燃料庫が1棟付属していた。工事は昭和9年6月起工、同年11月竣工した。工事施工は菅原組。
(資料提供 松本尚志氏)」
案内柱より
このように書かれています。
前回、大樹ハイヤーのドライバーさんから「昔は豊似に飛行場の跡が残っていた…」という話を頂き、この牧場がその飛行場の跡だったと思われます。牧場脇に残る建物は、案内柱に書かれている燃料庫であろうと思われます。
2013, 5, 9
広尾航空機不時着場跡と思われる牧場
落葉松林の向こうに広がる牧場
2013, 5, 9
不時着場に付属していた燃料庫と思われる建物
先の大戦、太平洋戦争(第二次世界大戦)とは何だったのか
莫大な国民の税金を使い、幾多の国民の労力と、数限りない国民の死と
戦争を知らない私が、ふと太平洋戦争、旧日本軍について考えさせられる時間、場所でした